2010年08月03日

消して、消して、消し残ったものが「あなた自身」だ

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


二つ目のポイントは、「内観をおこなうのはあなた自身だ」ということです。
成長しながら身につけてきたものが、あなたを窮屈にしています。
あなたが自分自身を見失い、大きな疑問符のように人生途上に立たせているのです。
ネオデジタル内観の実践でもっとも重要なことは、そうしたあらゆる先入観、すべての既成概念、つまらない価値観にとらわれないことです。

そのために、どんどんどんどんチェックを入れていきます。
よけいなお荷物を一つ一つチェックしながら、どんどん消していくのです。
そして、一つ一つ自分の力で既成観念やいままでの価値観を消していくと、最後に消せなくなったものがたった一つだけ残ります。
それがあなた自身であり「ほんとうの自分自身」です。

ネオデジタル内観は、「ほんとうの自分自身」を発見するステップが用意されています。
だれにでもできるアプローチです。
たとえ一歩ずつでも深めていけば、必ず「ほんとうのあなた自身」に出会うことができます。
「ほんとうのあなた自身」を発見できるのは、あなた自身だけです。

私は、あなたが自分自身を発見するためのサポートはできますが、
「これがあなたですよ」と指し示すことはできません。
なにしろ、私はあなたがどういう人なのか知りませんし、あなたが知らず知らずに背負ってきたお荷物のすべてを知ることは不可能だからです。
教えてもらえれば、目標とか自分の位置を知ることができるかもしれませんが、教えてもらったものは「ほんとうの自分」ではありません。
いま述べたことを、しっかり心に焼きつけておいてください。

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サイババは次のように述べている。
「人の心は、生まれたときには白紙である。
思考と行動が始まったとき、心も汚れ始めるのだ」


森田健氏は『ハンドルを手放せ』の中で、以下のように述べている。

欲の皮をむき終われば、時空と融合する

道教が導いてくれた世界には、おそらく真理の1つがあるような気がします。
最後に行われた三時間半の時空の旅は、私の迷いをほとんど消し飛ばしてしまいました。
時空の旅の間に得たことの1つ、それは、
「私たちにはもともとエゴはない」ということです。
「私」が存在するのは、私の欲や望みのせいなのです。
そこに達せられるべき何の望みもなくなれば、この瞬間は充分であり、私はいなくなり、エゴは消え失せます。
人間というのはタマネギのようなものです。その本質は空です。
ちょうどタマネギをむき終わるとそこに空しか残らないように……。
ですから、むき終わったとき初めて時空全体と融合するのです。
私たちはよく、天命に従うという言葉を使います。
時空全体の使命に融合したかったら、個人の目標など、持つべきではないのでしょう。
目標は未来を意味します。
未来に生きるものは欲望の世界に入ることです。
そうなると現在を生きることができなくなります。
そうなると時空全体もあなたの中に入れない……。
自分の使命など考えている限り、時空と融合できないのです、きっと……。
タマネギの皮をむき終われば、そのとき初めて入ってくるのです、全体、あるいは神の意志が……。


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誤解のないよう注釈しておくと、時空全体の目的を遂行する為に、一人ひとりに使命が与えられており、DNAにインプットされている。
人間は自分の使命を知っても知らなくても、プログラムされた指令通りに動いていると言っても過言ではない。
人は「使命」を決めて生まれてくると言われているが、それ以前に万民に与えられた課題が「真の気づき」「真の自己発見」、即ち「内観」である。
「本当の自分」を知らなければ使命を知る由もなく、「本当の自分」を知ることが最優先であり、この世に生を受けた「第1の目的」はそこにある。
何よりも先に「本当の自分を知らなければ始まらない」という決意をすることだ。

フォーカス70(7次元)に導く為に制作された森田健氏のCD「天人合一の旅」に、次のようなナレーションがある。

……思い出してみてください。
一番あなたがあなたらしい時、それは泣いたり笑ったりする時ではなかったでしょうか。
なのにあなたは理性という皮を着て、頑張ってきました。
もう頑張る必要はありません。
あなたはまるでタマネギでした。
着ている皮を一枚一枚脱ぎましょう。
あなたの知識、あなたの過去、あなたの信念、あなたの人格……。
そうです、人格というのはあなたの鎧でした。
あなたを他人から守り、自分自身から守るための……。
もう鎧は必要ありません。
あなたはまるでタマネギでした。
着ている皮を一枚一枚脱ぎましょう。
最後の一枚を脱ぐと、何も残りません。
そう、あなたは本当に誰でもないあなたになりました。
車輪を想像してみてください。
車輪の真ん中には何もありません。中空です。
あなたは今まで、車輪の中に物を詰め込もうとしていませんでしたか?
真ん中があなた自身です。
あなたはそこに経験というモノを詰め込もうとしていました。
車輪が回らないのは、詰め込み方が足らないのだと思ってきました。
真ん中には、何もないから、車輪は回るのです。
・・・・・・(中略)・・・・・・
タマネギの皮がむけ、車輪の真ん中がなくなり、あなたはもう何もありません。
時間はただただ流れています。
あなたはその中に浮かんでいます。
もう、悩む必要はありません。
あなたはすべてうまくいっています。
そろそろ戻る時間がやってきました。
でも、どこにも戻る必要はありません。
あなたは時空を一周して、すでに戻っています。
天と合一したあなたは、どこにも行く必要はありません。
あなたは、あなたでOKなのです。
すべてはうまくいっています。
あなたは流れそのものだからです。
目を開けてください。
どこにも戻る必要はありません。
あなたはこのままで、OKなのです」


第1章で、以下の2点を就寝時に問いかける習慣をつけるように課題を出したが、どうだっただろうか……。
「明日、死ぬとしたら何が大切なのか?」
「意識とは何か……本物の自分とは何か……」


答えが出ていなければそれはそれで構わないが、答えが出ている場合は、それが正しいか否かは別として、ノートに書いておいて頂きたい。
そして今後の就寝時の課題は、「天人合一の旅」を聴いて頂きたい。
http://www.fushigikenkyujo.com/bloGoods/cat4/cat11/post_50.asp
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但し、アイテムの購入を強制できない以上、代わりになるメソッドとして、『ハンドルを手放せ』で紹介されている道教の瞑想法「還童功」を紹介しておく。

「さて、夕方、初めて導師の家を訪問しました。
彼女の瞑想室には瞑想する方向から見て右側に大きな写真が飾ってあります。
これは導師が5歳のときの写真です。
左側には現在の彼女の写真が掛かっています。
この二つの間で瞑想します。
そして瞑想から醒めたとき、身も心も5歳の時の自分に還っていればいいのです。
そうすると不老不死の世界に一歩、近づけるというのです。
この修練方法を「還童功」といいます。まさに児童に還る修行です」


私はもっとシンプルに、5歳の頃の普通サイズの写真を飾り、その残像のイメージと自分を合体させる瞑想をしていた。
この還童功には想像以上の福音を獣にもたらした。
それは、続きを読んでもらえれば分かると思う。

「私たちは大人になることを成長だと思っていました。
経験を積んでひとかどの人間になることを人生の目標だと思っていました。
しかし、少なくとも仙人の世界ではそうではなさそうです。
彼らはわざわざ時間をバックする修行をします。
まだ360度の可能性があった時代に戻ろうとします。
子供の頃、私たちは無垢でした。遊ぶときは一生懸命遊びました。
未来のために現在の時間を使うことはありませんでした。
もちろん起こったことに対する意味づけもありませんでした。
過去も未来もなかったのです。そう、瞬間だけがすべてでした。
その時代に還る修行……ひょっとするとその修行が一番大変なのかも知れません。
私が経験した時空の旅でも自分が若返っていくシーンが見えました。
還ることができない大人が、全体を経験することによって若い状態に戻ることだったような気がします。
みなさんも良かったら5歳の頃の写真を大きく引き伸ばして、部屋に飾ってはいかがでしょうか?
精神の若返りが肉体の若返りにつながるらしいのです。
子供に還るということが不老不死につながるらしいのです。
ではどうしていま、地球が不老不死の星にならないのでしょうか?
それはみんなが「ひとかどの人間」になろうとしているからではないでしょうか。
人格者になろうとしているからではないでしょうか。
このまま行ったら、地球はそんな人たちでガチガチになりそうです。
一人前のことを言う人たちばかりが増えて……。
みんな人生を知った風なことを言い始め、冒険をする人たちも少なくなります。
つまり、子供のような人が少なくなるのです。
だからいまの地球上では、人は死んで生まれ変わって
前世を忘れてこなくてはいけないのではないでしょうか。
前世の記憶があると、純粋無垢な子供でいられないからです」


ミロクの世を実現させる為には、成長ではなく、逆成長しなければならないとも言える。
「蘇生」というのがまさに逆成長・・・その意味は非常に重要である。
posted by アンリ・クリスチャン at 00:17| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月12日

ネオデジタル内観の先生はあなた自身である

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


学ぼうとしても何も出てこない

ここまでで、宗教や精神世界、そして従来の内観とネオデジタル内観の違い、さらにネオデジタル内観の成果を理解していただけたと思います。
ネオデジタル内観を理解して日々の生活の中で実行に移せば、だれでも「真の気づき」、「真の自己発見」を必ず体得できます。
次の第三章では、ネオデジタル内観の実践者の声を紹介しますが、そのまえにいままでの内容を整理しておきたいと思います。
ネオデジタル内観の重要なポイントを整理しておくことで、以下の話が理解しやすくなると思うからです。

ネオデジタル内観を本当に自分のものとするためには、また重要なポイントが二つあります。
一つ目のポイントは「内観とは何か」ということです。
内観とは、自らの自分の内面を徹底的に観察し、「真の気づき」、「真の自己発見」を達成するということです。
ですから、学ぶことはまったく必要ありません。

従来の伝統的な精神修養とかいろいろな研修、それに各種のセミナーでは、指導者がいて、その指導者からノウハウを学び、身につけることが主流でした。
内観は、そうした指導者からノウハウを学ぶことではありません。
それどころか、すでに学んだものを一つ一つチェックし、消していくことが大事です。

生まれてから今までの環境や教育、それに習慣や体験などによって、私たちにはものの見方や考え方の癖がついてしまっています。
長い間にわたり、そうしたいろいろとよけいな「お荷物」を背負っているわけです。
よけいなお荷物を別の言葉でいえば、大きな価値観・先入観から小さなものの見方までです。
たとえば、「人間は愛を素晴らしいものと思う必要がある」から、「自分はあれは好きだ、嫌いだ」、それに「こうしてはいけない、こうしなければならない」など、すべて生まれてから現在までの間にできた癖に人は縛られているのです。

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この余計なお荷物を神道用語で「罪(積み)穢れ」という。
それ故、人は輪廻を繰り返さなければならないのだ。
余計なお荷物を背負って縛られている限りは、天国への階段を昇ることは出来ないのである。
だが、性格が遺伝子情報に組み込まれている通り、ものの見方や考え方の癖、思考パターンは、生まれてから現在までの習慣や体験によるものだけではなく、先祖や過去世から受け継いでいるのだ。

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須藤アキオ氏の著書『王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける』には、このように書かれている。

「人によって魂(心)には一種の癖あるいは個性がある。
心理学的にいえば、自我が被る仮面(ペルソナ)やコンプレックスである。
個々の潔斎法は困難、しかも糸口は千差万別、百人百様だが、では、個々の癖はいったいどのように現れるのか。
…………(中略)…………
古神道では、霊魂は真神(創造主)から分け与えられたもの(分霊)で、直霊(一霊)と荒魂・奇魂・和魂・幸魂(四魂)により構成されていると考える」


この一霊四魂(四位一体の一霊)を聖書で「YHWH=ヤハウェ」と呼ぶ。
アントロポゾフィー(人智学)の創始者ルドルフ・シュタイナーも、「人間の4つの気質」を説いているが同じような概念である。
この四魂(心の4つの働き)が円満に活動することは「人格の完成」を意味し、この四魂を統率する直霊には「省みる」という戒律がある。
省みるとは内省、即ち「内観」である。

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では引き続き、同書から引用させて頂きたい。

「さて、以上の四魂とは、あくまでも心の働きのことであるが、これに対して、より本質的な考え方がある。
すなわち、〔@本守護神〕〔A副守護神〕〔B正守護神〕の三つである。
このように3つに分類はされるが、実際に三つの精霊がいるというわけではなく、三つの顕れがあるということである。
〔@本守護神〕は本霊ともいわれ、先の説明でいえば、直霊となって顕れる(同じ意味ではない)。
…………(中略)…………
人間は《実数の世界(物質界)》のなかで最後に生まれた哺乳類で、あらゆる意味で完成された存在である。
このもっとも複雑な精神活動を行う人間は、もっとも複雑精緻な働きを有しており、その働きの本籍(自己)は、《実数の世界(物質界)》の最果てに位置しているといえるだろう。
これを比喩的には、主神の分霊であるという。
…………(中略)…………
古代人が『言葉には精霊が宿る』と考えたように、A氏にはAの精霊が、B氏にはBの精霊が、わたしにはわたしの精霊があり、《実数の世界(物質界)》にいる人間は、《虚数の世界(神霊界)》への窓口である心を通して、これを感知している。
この精霊が活動力(働き)であることはいうまでもない。
この天賦的な活動力を〔@本守護神〕という。
この実数・虚数の両活動が直結していた時代、人間の魂は遠心力に働いており、心の躍動がそのまま言葉になっていたのだ。
この黄金時代から、白銀、赤銅、黒鉄時代を経て、いまや泥土時代を迎えている。
つまり、人間側の心からいえば、〔@本守護神〕は眠っている状態にあるといえるだろう。
ユングの心理学では、「自己」は無意識界(虚数の世界)にあり、これを人が認知することはないとされるが、その意識界における現れであり、社会的な仮面やさまざまなコンプレックスに苛まれる「自我」は、無意識界と接触を図り、統合性を目指す過程で、さまざまな媒介者――人に仮託して夢などに現れる無意識の側面が現れるとする。
この自己こそが〔@本守護神〕である。
これは言葉とその意味が乖離しているということで、言霊思想を中核としていた日本人の場合、この乖離は日本人をしてじつに惨めな状態に陥らせ、いつまでも西洋に対するコンプレックスが抜けない。
この状態をユング派の心理療法家・河合隼雄氏は、
『日本人の自我が無意識から独立した存在として確立されておらず、自己との漠然とした結びつきの中で安定している』
と述べている。つまり、〔@本守護神〕と、漠然としたつながりを保持しているということである」


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少し難しい話だが、深く考えずに読み進めて頂きたい。
また、ここで言う「自我」は、エゴなどの悪い意味ではなく、単純に「左脳の働き=顕在意識」と考えていただきたい。
「日本人は自我が確立されていない」とよく言われるが、それについてアーリオーンは次のように述べている。

『自我の確立には、まず「自知」だろう。
自分を知るというのは「言うは易し行うは難し」の代表選手見たいなものだ。
自分で思い込んだ世界での自分を知る――というのではなく、
自分と呼ぶ個体の生きている環境の中の雑多な反映物をも通して見る、ことも必要だ。
それで私は「自分を観る」ことを勧めている』


自分を観るとは「内観」に他ならないが、生きている環境の中の雑多な反映物をも通して見るという事は、やはりアーリオーンも世俗から隔離して隠遁生活をする事は勧めていない。

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それでは次に、「正守護神」について須藤氏の説明を見てみよう。

「さて、ここで問題となるのが、媒介者たる〔A正守護神〕である。
これは宗教一般が俗に守護霊などと称する存在で、人間を善導する働き(活動力)だとされている。
出口王仁三郎が、
『自分の天賦の霊魂以外に他の神がかかって守護することはない』
と著わしているように、何らかの霊や神が守護しているというわけではなく、心の中のそのような顕れに過ぎない。
たとえば、産土の神(土地の守り神)が守るというのも、村長が村民の世話をするのと同様で、直接産土の神が来て守護するというわけではない。
人間の心を善導する〔A正守護神〕とは、大きくかけ離れてしまった〔@本守護神〕と〔心(四魂)〕をつなぐ暫定的な活動力(心理的な作用)だろう。
こうは考えられないだろうか。
人間の魂はこれまで幾度となく輪廻を繰り返したといわれている。
もし100回この《実数の世界(物質界)》で肉体を得たとすれば、一回目はいわゆる黄金時代で、〔心〕と〔@本守護神〕は直結し、心の躍動がおのずと言葉になって現れていただろう。
ところが、《実数の世界(物質界)》で肉体という〈形〉を得るたびに、人間の〈想い〉が創り出す独自の想念界は、コピーを繰り返すと少しずつ歪み出すように、少しずつ〔@本守護神〕そのものの活動力とはかけ離れだす。
つまり、もっとも純粋な1の想念から、2、3、4・・・・100と順次ゆがんだものとなってゆく。
〔A正守護神〕とは、その百ある想念界で、あらゆる意味で自分自身の分身・分霊である。
この〔A正守護神〕が〔心〕を善導するということは、〔心〕がもっとも近い生の想念界(99番目)の記憶をもとに〔@本守護神〕に遡ろうとする活動力であって、99番目の想念界を克服すれば、次に98回目の想念界に移る。これをもって〔A正守護神(守護霊)〕が代わったなどと表現する。
しかし、99番目の想念界に戻るか、101回目の想念界を創るか、それは人間次第である。
ユングは、『自己(本守護神)』と『自我(意識の中核)』との媒介者として、アニマやアニムスといった異性の元型を想定しているが、これが〔A正守護神〕といわれる心の働きであり、この媒介者に関しては、述べなければならないが、その前に、〔心〕と〔@本守護神〕が大きく離れてしまう要因である〔B副守護神〕について触れなければならないだろう」


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「〔B副守護神〕とは、いわば《虚数の世界(神霊界)》における負(−)の〈影のエネルギー〉である。
人間は個体振動数という、それぞれ個性的な波を持っているが、この波に対して〔B副守護神〕と表現される極陰性の波が干渉するのである。
物理学でいう干渉とは、たとえば、Aという波に対して、Bという波が重なってくると、A波は干渉を受け、B波と合成されたC波という、複雑な波形をもつ干渉波に変わってしまう。
これがいわゆる憑依現象であって、決して狐が憑いているというわけではない。
…………(中略)…………
たとえB波の干渉を受けても、A波という各自の個体振動数は独立しており(波の独立性)、B波の影響がなくなれば、またもとに復する。
問題は、いつまでもその影響を受け続けることにある」


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王仁三郎は、3つの守護神について次のように説明している。

「吾々がこの地上に降つたのは、本守護神が降つて来たのである。
が、この物質界に生れて、衣食佳の為に色々と心を曇らし、色々と劃策をするが為に、正守護神又は副守護神といふものが出来て来たのであります。
副守護神といふのは実際は、悪霊といふ事であります。
もとよりの悪霊ではないが、人間の心が物質によつて曇らされて、悪霊になつて居るのである。けれども総ての事を見直し、宣り直す教であるから、副守護神と云つて居るのであるが、実際は副守護神といふのは悪霊の意であります。
折角のよい霊が悪くなつたのである。
けれども人間の心に悪霊が居ると云うと具合が悪いから、副守が居ると云つただけであります。
亦た正守護神と云ふのに、公憑私憑の二大別があります。
公憑とは甲の肉体にも乙にも丙にも丁にも臨機応変的に憑依する神霊であり、私憑とは或る種の因縁を有する身魂、一人に限つて憑依する神霊を指すので在ります。
正守護神なるものは要するに、他より来つて人の肉体を機関として、神界の経綸を助け且つ又本守護神の天職を輔弼する所の、善良なる神霊であります。
而して公憑は神懸と言ひ私憑は神憑と言ふのであります」


『日月神示』には次のように説明されている。

「神的自分が本守護神であり、霊的自分が正守護神である。
また、幽界的自分が副守護神である。本守護神は大神の歓喜である」

「守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、段々変わるのであるぞ」


では、幽界的自分である「副守護神」とは何なのか。
生長の家の創始者・谷口雅治は、このように述べている。

「副守護神が改心し、先天的憑依なる正しき守護神が吾々の肉体を守護するようになると肉体の精神状態がすっかり浄化され、嗜好も一層人間らしくなります」

神典アナリストの中矢伸一氏は、次のように解説している。

「副守護神は物欲や性欲、権力欲、闘争欲などを支配する。
このため、副守護神が活発に働いている人が多い社会は、物質的な生産活動や経済活動が促進される。
そういう社会的傾向が主流になると、文明は著しい発達を見ることになる。
しかしその反面、霊的(精神的)な向上への道は閉ざされ、高級なる霊界からの直接的な流れである正流が受けられないため、いつまでたっても正守護神に復帰できず、ましてや本守護神にまで位が上がることなどは不可能となる。
副守護神により生み出された文明は、短期的には目覚しい発展を見せるが、やがて行き詰まり、悲惨な末路を辿ることになる」

(「真正日本神道」KKベストセラーズ)

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シルバーレイの開発者である若山敏弘氏は、『邪気よさらば』の中で次のように述べている。

「20世紀は人々が頑張ることで、交感神経を消耗させることと引き換えに文明・文化・技術・テクノロジーが大きな飛躍を遂げたといえる」

つまり、副守護神は直接的には俗にいう「憑依霊」だが、その本質は、左脳や交感神経を支配する体主霊従のエネルギーだと言える。
また、その物質文明は、肉食文化の西欧から発展していった。
実際、副守護神が改心すると、肉食に嫌悪感を感じて食べられなくなる。

問題は、憑依霊によっても人格(性格)が決定される事になり、それ故に「副守護神は幽界的自分」だということができる。
この「副守護神」を改心させる方法として、神道には「鎮魂帰神法」という修法があり、同時に肉食を避けて水を沢山飲むなどによる肉体の潔斎とを合わせて「身魂磨き」という。
だが、自分の想念に変化がなければ、再び副守護神が悪霊化して人格を支配される事になる。

そこで罪(積み)穢れを「祓い給へ、浄め給へ」と日々、言霊による潔斎をするのだが、内観ではそれを熾烈な自己凝視によって浄化していくのである。
ネオデジタル内観は簡単だが、それなりの決意と根気は必要である。
だからこそ、アイテムを活用して内観をスムーズに進めていけるようにするのがベストなのだ。
「シルバーレイ」は邪気を祓い、遺伝子の悪い情報を消去し、自律神経を調整してくれる、内観の心強い味方である。

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尚、「一霊四魂=ヤハウェ」と言ったが、一霊四魂の本質的な考え方が「3つの守護神」であるなら、それこそがキリスト教でいう「御父」「御子」「聖霊」の三位一体であろう。
それぞれ対応させると、次のような等式となる。

「御父=本守護神」「御子=正守護神」「聖霊=副守護神」

聖霊が副守護神(悪霊)だというと疑問に思うかもしれないが、副守護神は本来は「悪霊」ではない。
そして、「聖霊」はカバラの「生命の樹」の竣厳の柱に対応し、その地下には意識進化に逆行する「死の樹」が伸びている。
つまり、悪霊化した副守護神は「死の樹」に落ちた聖霊なのだ。

これ以上書くと本題から外れるので、難しく考えることはないが、要は3つの守護神は「人間の心の働き」であり、意識進化の反作用として「副守護神」も存在する。

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釈迦やイエスは、瞑想中にサタンの誘惑に打ち勝った。
サタンとは、欲望などの自我であり、副守護神だと言っても良い。
もっと単純に、アルファ波、そしてシータ波になることで無我の境地となり、瞑想の邪魔になる雑念(ベータ波状態)が消えたとも言える。
だが、釈迦は最終的に「サタンも自分の一部」だとして受け入れた。
イエスも「汝の敵を愛せよ」と言ったが、外敵は己の自我の写し鏡であり、敵を愛するこという事の本質的な意味も、釈迦の悟りと同じものなのだ。

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話が飛躍してまとまらなかったが、要は、熾烈な自己凝視・現実直視をすることから内観は始まるのである。
posted by アンリ・クリスチャン at 07:57| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

ネオデジタル内観の効果を「調和測定」で検証する

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


理論的なことより、「百聞は一見にしかず」です。
そこで、実際にネオデジタル内観を実践した人を例に、その人の脳波がどのように変化したのかを見ることにしましょう。
被験者は42歳の男性です。
内観についての知識はまったく持たない人でした。
しかしこの方は、「自分を見つめて自分のことがよくわからなければ何も言えないし、何もできない」と自覚し、ネオデジタル内観を始めています。

実際の調和測定では、カラーで視覚化してカラープリントしたものをお渡しするのですが、誌面の都合でモノクロの濃淡でしか示せません。
図ではわかりにくいかもしれませんが、色の濃淡の変化に注目してください。
三角形が尖って大きいほど脳の活動が活発で雑念が多く、そして隣接した三角形とコントラストがあるほど雑念や歪み点が多いと判断します。

左側が左脳、右側が右脳です。
どちらも同じような三角形でバランスがとれていることが望ましいのです。
理想の形は全体的に左右のバランスがとれて、色が濃く、三角形が小さく、隣接した三角形と同色かつ同サイズで、正三角形に近いことです。
表示された図の全体がそのようになれば無我であり、調和された真の気づき達成者であることが証明されます。

なお宗教や精神世界に凝り固まっている人、あるいは、従来の瞑想の達人といわれる人、霊的とか超能力者といわれる方の脳波は、たいていの場合エゴまるだしなので右脳ばかり異常なほど乱れた波形になり、左脳だけがまた異常にリラックスしているというアンバランスな脳波になります。
いまここではとりあげませんが、反論がある方はぜひ一度お越しください。
その場で乱れた脳波測定をして、カラープリントしたものを差し上げます。
まえおきが長くなりましたが測定結果を見てみましょう。

【@ネオデジタル内観を始める前】
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まず、ネオデジタル内観を始める前の脳の深い領域(デルタ波とユプシロン状態)を拡大表示しました。
左脳も右脳も極端に尖った三角形があり、左右がアンバランスで、隣接した三角形のコントラストが強くなっています。
これは熱意はあっても緊張だけして思考だけが空回りをしている状態です。

【A1ヶ月目】
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ネオデジタル内観を始めて1ヶ月もすると、左右の尖った三角形が極端に小さくなりました。
少し安定してきましたが、左右とも中央部に大きな三角形がありコントラストが強いので、歪み点がまだたくさんあります。

【B2ヶ月目】
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ネオデジタル内観を始めて2ヶ月目です。
左右の脳波のバランスが少しとれてきましたが、まだ高い形が見られます。
しかし、1ヶ月前と比べると、コントラストが弱くなり、色が濃くなってきました。
左脳の下のブロックには無我に近い安定脳波が現れています(色の濃い部分)。
これは内観が進み、イメージ、空想をすることが少なくなってきたことを示しています。
いままで感じ取れなかった時の移ろい、それにいろいろなことがらがよく感じ取れるようになってきた段階です。

【C3ヶ月目】
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ネオデジタル内観を始めて3ヶ月目です。
とくに左脳の深い部分(左端のブロック)の三角形が小さくなり、バランスがとれて色も濃くなってきました。
これは雑念や歪みが消去され、脳波が安定してきた証拠です。
しかし、まだ右脳が活発であり、焦りやイメージがあります。
日々の生活でのいろいろなことがらが鮮明になり、その原因をわかりかけてきた段階です。

【D4ヶ月目】
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ネオデジタル内観を始めて4ヶ月目です。
左右の脳ともバランスがとれて、さらに色が濃くなってきました。
だんだんととらわれがなくなり、脳波が安定してきていることを示しています。
左脳に濃い色が多くなっていますが、これはとらわれが少なくなってきたことを示しています。
左脳よりも右脳の脳波が少し高いのは、イメージや何らかの期待感があるからだと思われます。
しかし、右脳の下部に安定脳波が現れ出しました。

【E5ヶ月経過】
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ネオデジタル内観を始めて5ヶ月が経過しました。左脳上部には安定脳波が現れています。
右脳にもそれが波及してきたようです。左右のバランスもだいぶとれてきました。
中央の下の辺の三角形が乱れているのは無意識の中にある焦りの部分です。
自分でも取れにくい一部の歪みを自覚して内観に少し行き詰った感じです。
そこで、この時点で、添削と個人面談をおこないました。
その後の測定では、左右の脳波のバランスがとれてきました。
大きな乱れはなくなり、安定してきました。
これで「真の気づき」、「真の自己発見」の確率が高くなりました。

【F半年経過】
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ネオデジタル内観を始めて半年が経過した頃の脳波です。
左右の脳波のバランスがとれ、たいへん安定しています。
右脳のイメージ波(色の薄い部分)も少しになり、右脳にも無我状態をあらわす非常に濃い色の部分が増加してきています。
少し右脳が優勢ですが、これは、目的達成の希望とよろこびがわいてきた証拠です。
日々の生活ではほとんどとらわれがなくなり、やすらぎの境地に近い状態です。
さらに内観を進めることで、確実に「真の気づき」、「真の自己発見」に到達できるでしょう。

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ネオデジタル内観でも、半年続けてまだ悟れないのかと思われたかも知れない。
達磨大師は、石の上に8年間も座り続けて悟りを開いたという。
釈迦は29歳で出家して6年間もの間、苦行をしてきたが、アナパナサチ呼吸法によって37日間で悟りを開いた。
やはり、内観成功の鍵は「呼吸」が握っていると考えて間違いない。
また、ネオデジタル内観の効果を高め、短期間で悟りに導くのが「シータ波誘導装置」で、左脳と右脳を強制的に統合させる効果がある。

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さて、山本健二氏によると、従来の瞑想の達人といわれる人、霊的とか超能力者といわれる方の脳波は、たいていの場合エゴまるだしなので右脳ばかり異常なほど乱れた波形になり、左脳だけがまた異常にリラックスしているというアンバランスな脳波になっているという。

その理由を、政木和三氏の著書『人類を救うヒット商品開発法』から抜粋する。

――私が昭和47年から、スプーン曲げの実験、物体の湧出、消滅の実験を行っている時、神の啓示として聞いた言葉は、次のようなことであった。
「霊能力のある人は、いまだ人間性が完成していないためである。
急ぎ大きな修業をして、霊的に感じるのではなく、自分自身で感じるようにしなさい」、と。
霊的に感じるということには、若き日の修業がその力を大きく左右する。
だから、現代科学をあらゆる面にわたり十分に究明した人は、物理科学に立脚した霊能者となる。
しかし、学問もまともにおさめず、遊び、点だけ取って学校を終わった人には、程度の高い能力しか与えられないということだ。
私には、霊能力者には3つのパターンがあることがわかった。
人間性測定のフ―チパターンによれば、まず第一に、成人しても第1生命体だけで、人間性をつくる第2生命体のない人の多くに霊感がある。
しかし、これは程度が低く、潜在意識で発現するものなので、身近のことしかあたらないようである。
第二の本物の霊能力者は、フ―チパターンによると、振幅が10センチ以上で、知能指数が180以上の人で、欲望を捨てた時の答えはすべて正解となる。
一般の人々は、この二通りの霊能力者を自分で見分けて相談する必要がある。
これ以外にも第三としてフ―チパターンの測定で、左に45度傾いた動物霊のいる人は、霊能力的にあたることもある。
しかし、常に多額の金品を要求し、動物霊であるから、自分さえ良ければよいを基準にして判断するため、正常な人間の判断力とは相当異なるものとなる――


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『日月神示』には、次のように示されている。

「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言」

「世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ」

「今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ」


現在、霊能者や超能力者と言われている人の99%は幽界レベルだと思って間違いない。
また、山本健二氏は「従来の瞑想の達人と言われる人」と言っているのは、瞑想でトランス状態になった時に幽界霊と同調する人が多いからである。
また、禅には「魔境」という言葉があり、修行者が霊的能力を覚醒する段階で陥りやすい状態で、意識の拡大で自我が肥大化し、精神バランスが崩れた状態のことをいう。
ユング心理学では、これを「魂のインフレーション」と呼ばれている。
日蓮は魔境に入ることを防ぐ為に、「瞑想中に仏陀や如来が現れたら槍で突き刺せ」と教えている。

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神霊治療能力者の隈本確氏は、生まれつき霊的能力の持ち主だったが、中卒で学歴がない状態で行者のもとで修業をし、低級霊媒体質となって苦しみ続けたという。
しかし、人の病気は治せる霊能者で、霊視や霊聴など一通りの霊能力を持っていたらしい。
やがて隈本氏は、霊との闘いの末に霊格を高め、自らの霊障を解消して高級霊媒体質となったらしい。
それでも霊能力はなくならなかったらしいので、それなりの使命があるのだろう。

その霊能者である隈本氏は、大霊界6『魂の存在』の中で、「霊能力のある人は幽界霊に憑依されているか、魂が幽界レベルである」と断言している。
また、自分の霊能力は守護神の働きによるものだと主張する人に対しては、「それではあなたの守護神は低級霊である」と喝破している。

釈迦や一休さんも霊能力や奇跡を否定したが、イエスは奇跡を起こし続けた。
サイババやヒマラヤの聖者も、奇跡を戒めながら奇跡を起こしている。
方便として奇跡的な行ないをするのは、ある程度は許されるのだろう。

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実際、脳波がシータ波になり、政木氏の人間性測定で8次元の生命体になると、様々な超常現象が起こるようになるという。
そもそも脳波がシータ波の状態は、潜在能力が発現している状態なので、超能力者だと言っても間違いではないのである。
つまり、本物の霊能者・超能力というのは、真我を知って悟りを開いた人にしか発現しないのだ。
真我を知って悟りを開いても、超能力を発現しない人も当然いる。
もし、発現しても、見世物的な事はやらないし、世のため人の為に、人知れずそのような能力を使っているのである。

『日月神示』には、次のように示されている。

「霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあるぞ。
一般の人民はそれにだまかされることがよくあるぞ。
何れも下級霊のしわざであるぞ、正神には奇跡はない。
奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。
高級霊は態度が立派であるぞ、わかりたか」


脳波がシータ波になったり、真我を発見する過程で霊的能力や超能力的な特殊能力が発現することは珍しくないが、絶対に一喜一憂してはならない。
また、それらの能力を開発を目的とした内観や瞑想は、ほぼ例外なく魔境に入ることとなるので戒めて頂きたい。

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前項では「テンポ116シリーズ」と「ゼッテン・116」を紹介したが、高周波には聴覚を開く作用があり、聴覚が開くと脳全体が効率よく活性化することが分かっている。
それを良質な音で聴く事が理想なので、私は「タイムドメイン ライト」というスピーカーを使用している。
タイムドメイン理論のスピーカーは、コンサートホールでの臨場感、感動を家庭で再現することを主眼に開発され、高質音空間を実現する。

タイムドメイン社
http://www.timedomain.co.jp/product/product.html

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また、私はまだ入手していないが、素粒子パワーを放出するスピーカーがあり、生演奏の1000倍のエネルギーでイヤシロチにするそうである。
本来は、畜産・農業・漁業・食品工業・製造工業用の「素粒子エネルギー放射装置」なので高価だが、金銭的に余裕のある方は入手される事をお薦めしたい。

グローバルクリーン
http://www.global-clean.co.jp/energy.html
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2010年06月09日

調和的な状態が確認できる「調和測定」

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


「調和測定」は脳波を活用しますが、先の述べたように巷で行われている調和測定とは異なります。
独りよがりの内観にならず、調和的な状態が実現されているかどうかを客観的に判定する唯一の方法、それが「調和測定」なのです。

「私はなにごとにも冷静だし、正しく判断できる。調和ということも知っている」
こう言われる方もいるはずです。
しかし、何を基準にそう思っているのか、当の本人にもわかりません。
本人にわからないのですから、他人が知るすべもありません。
もしかして、それは独りよがりの「思い込み」かもしれないのです。

現在、ものごとを冷静に、中道的な見地で判断できるようになるということから、「内観」とか「何々瞑想」とかの関心度は世界的に高まってきました。
しかし、独りよがりの内観であったり、思考の堂々めぐり、あるいは観念遊戯に陥っている人も少なくありません。
また、「やすらぎの心が得られた」とか「平常心を体得した」、あるいは「悟った」とか言っても、それは多分に思い込みであることが多いものです。
自己催眠に陥り、自分ではそうした境地に達したかのような錯覚にはまっているわけです。

そこで、ほんとうに調和したやすらぎの心なのか、あるいは偏らず、とらわれず、こだわりのない判断ができているのかを検証することも、時として必要になってきます。
「調和測定」をおこなえば、心身の調和度、想念の浄化度、あるいは汚染度、そして修正すべき心の歪み点までがハッキリします。
「調和測定」では、その人がこれからどのようなことに日々注意していけばいいのかがアドバイスできますから、明確な方向性を導き出すことができるのです。

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前項でも書いたが、残念ながら私には「調和測定」の術がないので、それによるアドバイスをして差し上げることは出来ない。
だが、「ダ・ヴィンチ ワールド」を使用し続けることで理想的な調和状態になっていくことは間違いない。
私は日常的に「アルファシータ」をしており、今もアルファシータのへミシンク(ミッドアルファ波に設定)を聴きながら文章を書いている。

ついでに紹介しておくと、私は毎日「つきを呼ぶ音楽」を部屋に流している。
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月の1日は24.8時間で、1分は58秒である。
24時間(太陽の1日)÷24.8時間(月の1日)=0.967。60秒(1分)×0.967=58.02(月のテンポ)

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振り子時計のように左右にカウントされると2倍だから、太陽のテンポが120なら、月のテンポは116となり、月は我々に「テンポ58」、もしくはその倍の「テンポ116」を絶えず送り続けているそうだ。
上記の数字で脳波を分析すると、「テンポ58・116」は、右脳と左脳のバランスが取れ、とても集中している状態を示しているという。

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また、「つきの妖精たち」は、五感を高めて六感を磨くというコンセプトで制作されたCDだが、これも自己発見をサポートしてくれる事だろう。
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前項で紹介した「アルファコイル」は部屋全体を浄化する効果もあるが、「アルファシータ」や「ダ・ヴィンチ・ワールド」はヘミシンクによって脳波をコントロールするだけなので、部屋の浄化作用はない。
ヘミシンクとは、ヘッドフォンを通して左右の耳に周波数の異なる音を聴かせる事で左脳と右脳をバランス良く活性化させ、脳波や意識状態をコントロールする技術である。

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そこで、絶対テンポ116シリーズのCDを部屋に流しながら、アルファシータやダ・ヴィンチ・ワールドを使用すると、アルファコイルと同等の効果が得られることになる。

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更に私は、「ゼッテン・116」という高周波発信装置を使用している。
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ゼッテンは「絶対テンポ」の略で、テンポ116の音楽と併用して使用する装置だが、この場合は専用のCDを使用する。
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高周波は、波の音・小川のせせらぎ・葉攘れの音などの自然界の音に含まれ、小鳥のさえずりやイルカが発する周波数としても知られており、人間の耳には聴こえないが心身に癒しのエネルギーを与えている。
また、高周波は脳に瞬時に影響を与え、集中力・記憶力・ヒラメキ・自然治癒力がアップし、潜在能力の活性化になり、動物や植物にも大きな影響を与えている。

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高周波の大きな特徴は、ゼロポイント(ゼロ磁場)を作り、次元を超越する事だという。
ゼロ磁場とは、電磁誘導でいう2つの磁界の方向が向き合って「ゼロ」になっている場のことで、長野県の分杭峠が奇跡を起こすゼロ磁場のパワースポットとして有名である。

「ゼッテン・116」の説明では、次のようにある。

「全てから開放された状態で宇宙と一体化することにより、自分本来の能力が発揮されるのです。つまり、“天・地・人”の関係を体現できる」

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高周波を発するゼロ磁場で内観すれば、大きな効果があって当然である。
開発者の片岡慎介氏は、「来たるべきアセンションの時代に、もっと高周波の活用を……」と、呼び掛けている。

「テンポ116」について詳しく知りたければ、以下の本を読む事をお薦めする。
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片岡慎介公式ホームページ
http://www.116kataoka.com/

また、「ゼッテン・116」は新型「ゼッテン116-AS」が発売されており、価格も倍になっているが、各自で調べてみて頂きたい。

ゼロ磁場について
posted by アンリ・クリスチャン at 22:56| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

視覚化でネオデジタル内観の成果を確認する

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


脳波が語る調和状態

先に、脳波の変化で、アナログ思考とネオデジタル思考の違いを比較しました。
ネオデジタル思考がいかに精神状態を安定させるか、アナログ思考がいかに不安定な精神状態を招きやすいかは一目瞭然でした。
思考活動は脳波に現れますから、これを詳しく調べることによって思考の歪み点や意識の調和度が確認できます。

調和測定は、世間一般的的な脳波測定とは異なり、ベータ波とかアルファ波とかシータ波などの活動はあまり重視しません。
それらは、医療の分野やスポーツの分野などでは、脳と体の関係を調べるのに役立っていますが、心の状態、特に意識の調和度を調べるのにはあまり役立つ領域ではありません。

心の奥底の状態は、やはり脳波の深い部分を調べなければ分からないからです。
脳波は一般的には、高い波形の部分から低い波形の順に、ガンマ波、ベータ波、アルファ波、シータ波、デルタ波、そしてユプシロン状態などといわれています。

紙面の都合上ここでは詳しく述べることができませんが、調和測定は意識開発のために私が独自に開発した測定方法ですから、一般的な脳波の知識は捨てて見ていただきたいと思います。
コンピュータを使って脳波の深い領域の変化を観察し、それを視覚化することで、内観の効果がどれだけ上がっているのかを知ることができます。
また、内観の実践で意識がどれだけ浄化したのかということを肉眼で確認することができるのです。

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残念ながら、山本健二氏が他界され、後継者も居ない為、脳波の深い領域を調べる調和測定をする事が出来ない。
だが、思考や意識は脳波で現れるので、要は「覚醒シータ波」が出せるようになれば良いのである。

では、自宅で脳波を測定する為にはどうすれば良いのか。

マンモステレビや電光ニュースなど300件以上の発明をした橋本健氏が「アルファコイル」というアルファ波誘導装置を開発している。

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主な効果は次の通りとなっている。

●意識をアルファ状態に誘導
(ファーストデルタ波〜シータ波〜アルファ波〜ベータ波まで設定可能)
 瞑想に用いると抗暗示障壁が取れ、潜在能力を引き出しやすくなる。
●浄化作用(潜在意識から悪い想念を排出)。
●気のエネルギーに似ており、気功師の出すエネルギーの数十万倍のパワー、しかも邪気を受けない。
●細胞の活性化・健康維持。植木鉢に掛けたら、菊が大輪を咲かせた等々。
●快眠、睡眠時間の短縮。
●頭の回転がスムーズに。やる気・活気・集中力・記憶力向上。
●人生にハリが出て、学習や仕事に対する意欲が湧いてくる。
●禁煙や禁酒などが容易に。性格や悪癖などの改善。考え方や行動が積極的に。明るく朗らかな性格になり、他人に好感を与え、同性や異性にもてるようになる。
●家庭が円満に明るくなる。
●インスピレーションやヒラメキの受信、発想力や企画力の発揮。
●除霊、浄霊効果。
●透視・霊視・予知能力・ESP能力の発現。
●水、食品、飲物等にあてると、強力な磁化水(良い水:まろやかな水)、磁化食品、磁化飲料に変化。

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それとは別に、アルファトーン31型(脳波フィードバック)という装置がある。
これは、アルファ波やシータ波が出ると音が知らせてくれ、自分で脳波を確認することが出来る器械である。

主な効果は次の通りとなっている。

1.精神的緊張をほぐす。
2.心配や不安、イライラを解消します。
3.自分の能力を効率的に最大限発揮できます。
4.勉強に集中できるようになります。
5.記憶力が増します。
6.読書能力や計算能力が向上します。
7.教育効果が増大します。
8.あがらなくなります。
9.精神集中が容易になります。
10.精神統一が上手になり集中力が養えます。
11.深い瞑想に入れます。
12.決断力が向上します。
13.物事にあわてなくなります。
14.そそかしさがなくなります。
15.よく眠れるようになります。
16.妊産婦の胎教訓練が出来ます。
17.意識活動を旺盛にします。
18.心を広くします。
19.喜怒哀楽の情動を制御できます。
20.性的感受性が高くなります。

アルファトーンはアルファコイルとの併用が薦められているが、脳波の状態を知るのが目的ならアルファトーンの使用のみで良い。
詳細は、日本超科学会のHPを御覧頂きたい。
http://www.alphacoil.com/

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尚、私が使用しているのは、政木和三氏が発明した「アルファシータ」という装置である。
これはへミシンクによってアルファ波〜シータ波を発生させるアイテムで、私は高校時代から使用しているが、その効果は私のお墨付きである。
しかし、残念ながら現在は販売されておらず、入手できない状態のようだ。

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そこで調査すると、アルファシータと同じ原理でアルファ波〜シータ波を誘導する「ダ・ヴィンチ ワールド」という製品を見つけた。
右脳開発の第一人者・七田眞氏も推薦しているので、信頼できるものである。
詳細は以下のHPを御覧頂きたい。
http://www.h-sa.jp/davinci/world/

パソコンとシータ波誘導装置によって、誰もが短期間で真我を発見し、悟りを得る事が出来るとは、まさに物質文明が極まった時代の転換期ならではの文明利器だと思わざるを得ない。

アイテムを使用しない方も心配は無用である。
そもそも、ネオデジタル内観はアイテムを使用せずに85%の成功率を誇る内観である。
それに腹式呼吸法を加えれば、100%に近い成功率になるのではないかと思われる。
パソコンを利用しない方も、別のメソッドを提供するのでご安心頂きたい。

アイテムを利用すれば、より短期間で、より深い悟りの境地に到達することが出来るので、可能な限りチョイスされる事をお薦めするが、特に今回ご紹介した「ダ・ヴィンチ ワールド」は、是非とも入手して頂きたく思う。
尚、モンロー研究所のCDもへミシンクによってシータ波にするが、ガイダンスが入っていて目的が異なるので内観には使用できない。


posted by アンリ・クリスチャン at 01:24| Comment(2) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月08日

パソコンを使ってネオデジタル内観を加速する

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


内観作業をパソコンに任せることで、内観の効率が断然向上する

ネオデジタル思考のネオデジタル内観では、まずアナログ思考を排除すること、さらに、ピュアな意識になるために、認識のスピードアップをはかることが重要です。
第四章の「ネオデジタル内観の実践」で詳しく触れますが、ネオデジタル内観の大きな特徴がパソコンの活用です。
パソコンを活用する理由は、アナログ思考の排除と認識のスピードアップにパソコンが最適だからです。

ネオデジタル内観にパソコンを使えば、ステップの中にある「何のために内観をするのかという目的の書き出し」、「先入観と価値観の書き出し」、「過去を振り返る反省の書き出し」といった書き出し作業や「認識のスピードアップの実行」などがたいへん効率よく楽しくできます。

パソコンを利用しない場合の内観は、これらの書き出し作業をノートや大判の紙に記入する必要があります。
しかも、書き出し作業は一回で終了する性質のものではありません。
個人差がありますが、何回も繰り返して行うことが必要です。
さらに、書き出した項目については、並べ替えや消去も必要です。
ノートとペンを使っていると、この書き出しや並べ替え、消去に結構労力を使います。

もし、内観実践者が「面倒だ、汚い自分の字を見るのはイヤだ」などと思ったらその瞬間、アナログ思考の感情が入り込んでしまいます。
そうしたネオデジタル内観の大敵である雑念や感情を排除するためにも、パソコンの活用が有利になります。
また、「認識のスピードアップ」の実行でも、パソコンを使わなければメモ用紙が必要になります。

認識のスピードアップは身近にあるモノを瞬時に判断する作業ですが
、パソコンを使わない場合はモノの名称をメモ用紙に書き取ることになります。
モノの名称を書き取る作業はサブで、瞬時に判断する作業がメインなのですが、モノの名称を書き取る作業がどうしてもつきまといます。

アナログ思考を排除し、書き出しや並べ替え、それに消去といった作業を無理なくこなし、さらに瞬時に判断する作業だけを純粋におこなうために、パソコンの活用が最適です。
サブ的な作業はパソコンに任せれば、本来のネオデジタル思考の実践だけに専念できます。

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パソコンがなくても内観は決して不可能ではないので、出来る範囲内で実践して頂きたいと思う。
尚、認識や決断のスピードは骨盤の締り具合と関係しているので、神泉組1で紹介している「真向法体操」も行なって頂きたい。
また、骨盤の歪みが上体の姿勢にも影響しているので、正しい姿勢で深い呼吸を身につける為にも日々の習慣にされる事をお願いする。

posted by アンリ・クリスチャン at 00:20| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月07日

ネオデジタル内観は脳をリラックスさせる

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


ネオデジタル内観はむつかしくありません。
だれにでも実行できるコツですし、テクニックです。
ネオデジタル思考を使うアプローチは、自分にまとわりつくアナログ思考を排除し、その結果、ピュアな意識そのものになります。
ピュアな意識とは、自分の奥底に存在している「ほんとうの自分自身」です。

「真の気づき」、「真の自己変革」を体得するには、ネオデジタル思考でアナログ思考を排除し、思考パターンの変革をおこなうことがまず必要です。
さらに、よりピュアな意識になるために、認識のスピードアップをはかることが重要な要素です。
ネオデジタル内観が身につけば、私たちの脳波は変わります。

その違いを図示してありますが、このデータは「調和測定」についてはこの章の後半で触れますが、私たちの思考がどれくらい安定しているか、あるいは不安定な状態にあるかをコンピュータを使って解析する技術です。

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グラフのタテ軸は脳波の周波数で、7〜22はヘルツを示しています。
ヨコ軸は時間の経過で、測定開始から1分、2分、3分となっています。
通常のリラックスしたアルファ波の14ヘルツから測定を開始し、ネオデジタル思考では3分経過したときには7ヘルツ近くまで下がり、その後も安定した精神状態をあらわしています。
肉体的・精神的にくつろいだ安静な状態の時には脳波は下がります。

一方、通常のアナログ思考では、時間の経過とともに脳波の周波数は上昇していきます。
脳波のパターンでいえばベータ波が盛んに出ている状態で、感情の高ぶりや緊張を示しています。
周波数の上昇は、精神状態がどんどん不安定になっていることを示しています。
その理由は、時間が経過するにつれ、イメージと感情が膨らんでいくためです。

イメージと感情の膨らみが引き金になり、精神は不安定さを加速していくのです。
この結果から、アナログ思考では内観は困難なことがよくわかるはずです。
そんな不安定な精神状態で、「真の気づき」とか「真の自己発見」など望むべくもないからです。

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7ヘルツというとシータ波(4〜7ヘルツ)である。
シータ波は浅い睡眠時に現れる脳波だが、禅僧やヨガ行者などの瞑想の達人が継続してシータ波を出している状態を「覚醒シータ波」という。
覚醒シータになると精神的感覚から生命体感覚になり、精神エネルギーが発生し、感情や自我は消滅した状態となる。
つまり、瞑想の極致に達した状態で、「悟りの脳波」と呼ばれている。

それがネオデジタル思考をすると、僅か3分でシータ波になるのだ。
だが、コツを掴むまでは多少の訓練は必要で、ネオデジタル内観でも15%の脱落者がいることは事実である。
山本健二氏は「呼吸」について触れていないが、脳波と呼吸は連動しており、腹式呼吸によってアルファ波やシータ波になる事が分かっている。
釈迦もヨガの呼吸法を実践しながら内観して、悟りを開いたのである。

しかし現実には、覚醒シータ波が出るようになるのは容易ではない。
『「内観」を知っていますか』の補足説明でも書いたが、政木和三氏が毎日1時間の腹式呼吸を1年間続けて覚醒シータ波が出るようになったのは早い方で、普通は何十年という歳月の修業が必要だと言われている。
そこで、政木氏は脳波をシータ波にする装置を発明したが、この事はもう少し後に紹介するとして、ここでは「呼吸」をテーマに書いていく事にする。

数ある呼吸法の中で、肥田式ほど効果の大きいものはないと思う。
少し動作が複雑なので慣れが必要だが、要は腰を反らして腹式呼吸をすることで強烈な効果があり、数回の呼吸でも思考停止に近い状態となり、覚醒シータ波状態になるのである。
それは私が熟練しているからかも知れないが、肥田式が非常に効果の大きい腹式呼吸法である事は間違いない。
名称は「腹式呼吸」となっているが、いわゆる丹田呼吸の極みである。
そして、肥田式腹式呼吸の後に起き上がって内観をするのだが、深い意識状態を維持する為に腹式呼吸は続けて行なった方が良い。

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ノアの大洪水後、ノアからヤフェトに継承されたカバラは、アーリア人の中で口伝で伝承され、後にインド哲学を生み出した。
これを編纂したのが『ヴェーダ』で、それを基にバラモン教が成立した。
このバラモン教徒だった釈迦は、まず仙人アーラーラー・カーラーマのもとで「無所友処定」という瞑想法を学び、次にウッダカ・ラーマプッタという仙人のもとで「非想非非想処定」という瞑想法を修めたが、いずれも自分の求めるニルバーナ(涅槃)に達するものではないとして、苦行に挑戦した。
そして、6年間の過酷な苦行の末、苦行が悟りをもたらすのではないとして苦行を捨てた。

その苦行の中に、死の限界まで息を止める「止息法」があった。
これによって釈迦は、息を長く止めることに意味がないことを悟ると同時に、呼吸観察の重要性を発見した。

「弟子たちよ、私はこの3ヶ月間に入出息を念じて、多く得るところがあった。
入息、出息、長短の息などの様々な息を、実の如く知った。
かようにして私は、粗い思惟から更に進んで、より微細な思惟に入った」

(「雑阿含教」第29第6経)

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この「アナ・パナ・サチ(出入息念)呼吸法」によって釈迦は悟りを開き、形骸化したバラモン教を否定し、仏教を開いた。
仏教を「バラモン教シャカ派」と呼んでも良いかも知れない。
尚、バラモン(ブラフマン)とは宇宙の根本原理のことで、自己の中心であるアートマン(真我=本当に自分)と同一(等価)であると説かれている。

また、インドには『聖イッサ伝』という伝説がある。
詳細は割愛するが、聖イッサとは「イエス」のことである。
イエスはインドで仏教を学び、クムラン宗団(ユダヤ教エッセネ派)の指導者となった。
クムラン宗団は瞑想や断食など、仏教的な修業をする集団だったと言われているが、恐らくイエスも、断食と呼吸法を併用した内観によって悟りを開いたと思われる。

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『大安般守意経』の中に、釈迦が実践して悟りを開いたアナ・パナ・サチ(出入息念)が書かれている。

「入息は短く、出息は長く、念い(おもい)に従う所無きを道の意となし、念う所の有るを罪となす」

要するに吸気を短くし、呼気を長くすると雑念(自我)が消えて深い意識状態に入るということだ。
参考までに、政木和三氏が教える「7・7・14呼吸法」を紹介しよう。

まず目を閉じ、7秒間で鼻から息を吸い、7秒間息を止め、14秒間かけて口から吐き出すという呼吸法で、ポイントは下腹部に空気を出し入れすることだ。
秒数は目安であり、こだわる必要はない。
また、息を吐き切る時間がもっと長くできるなら、その方が良いだろう。

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肥田式の場合は効果が絶大なので、3秒以上の呼吸停止は身体に負担が大きくて逆効果となるが、腰を反らさない腹式呼吸の場合は、しばらく呼吸を止めても問題はない。
つまり、内観前に肥田式腹式呼吸を行ない、内観している間、アナパナサチ呼吸をして覚醒シータ波を維持するのである。

要は、内観成功の鍵は「覚醒シータ波」であり、前に紹介したシータリングも深い呼吸をサポートしてくれるアイテムである。
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もっともこの指輪の利点は、無意識に過ごす日常生活や睡眠時の呼吸を深いものにしてくれることである。
深い呼吸は脳波を下げ、リラックスや集中をもたらし、その結果、交感神経と副交感神経のバランスも良くなる。
また、細胞に酸素を供給し、健康効果をもたらすだけでなく、長息(長生き)というだけあって寿命にも関係がある。

忘れてはならないのが、呼吸は姿勢とも関係している事である。
特に椅子に座る場合、「知恵マット」の使用をお薦めする。

座るだけで姿勢が良くなる「知恵まっと」
http://japan666.seesaa.net/article/122562505.html

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また、日頃から「アディオ・イフ」の装着をお薦めする。

生命力を引き出す魔法のペンダント「アディオ・イフ」
http://japan666.seesaa.net/article/124140377.html
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更に言えば、腹式呼吸をする前に、「快快」を装着する事で、全身の骨格の歪みが矯正され、鼻通りが良くなって呼吸が深くなり、その結果、脳に新鮮な酸素が供給され、全身の血液や気の流れも良くなり、宇宙意識と繋がりやすくなるようだ。
それは、ブラフマンとの一体化=梵我一如(天人合一)、つまり「真の自己発見」と言い換えても良い。

宇宙意識と繋がる奇跡の「整体名人・快快」
http://japan666.seesaa.net/article/125274452.html
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念の為に言っておくが、私が紹介しているアイテムは内観に絶対必要なものではなく、あくまでもサポートアイテムであり、金銭的に余裕があれば購入をお薦めしたいという商品である。
もちろん、アイテムがなくても内観は可能だが、出来れば最初に「真向法」や「首回し」を行なってから「肥田式腹式呼吸」、そして「アナパナサチ呼吸」をするのが好ましい。
尚、シータリングはOKとして、それ以外の金属製の装飾品は外して行なった方が良い。
posted by アンリ・クリスチャン at 02:46| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月22日

デジタル思考は合理的に物事を捉え、本質を浮き彫りにする

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


「ネオデジタル思考と急にいわれても、私にはわからない」
こう思われた方がいるかも知れません。
ネオデジタル思考はデジタル思考を進化させたものですので、基礎のデジタル思考について説明しましょう。
デジタル思考と聞くと、なにやら得体の知れない思考、あるいはむつかしい思考と思われるかもしれません。
しかし、まったく簡単な思考法なのです。

世の中には、デジタルを「機械的で冷たいもの」と考え、デジタルに対応するアナログを「人間味のある温かいもの」ととらえる人がいますが、それは大きな誤解です。
デジタル思考が冷たい思考でもなければ、デジタル人間が冷血漢でもありません。
デジタルに対する先入観をまず取り払ってから、デジタル思考とは何かを冷静に見つめる必要があります。

デジタルとアナログについて、ある辞典はこう説明しています。
*デジタル=値を定期的に区切って抽出し、数字や符号で表した時の量をデジタル量といい、その概念をデジタルという。
*アナログ=値を時間的に連続して変化していく量をアナログ量といい、その概念をアナログという。

そもそもデジタルの語源である「デジット」は、「人の指」「指の幅」「アラビア数字(1〜9の一つ)」という意味です。
形容詞の「デジタル」になると「指の」「数字を使う」という意味になります。
一方、アナログの語源は「アナロジー」です。
アナロジーには、「類比」とか「類似」「類推」といった意味があります。
デジタル思考の特徴は、ものごとを客観的に観察する姿勢にあります。
「合理的にものごとをとらえ、分析し、本質に迫る態度」といってもいいでしょう。

「わかる」とは「わける」ことから派生しています。
ものごとを客観的に分類し、分析し、ものごとの本質を知ることが「わかる」ということなのです。
「ほんとうの自分」を知ることも同じです。
自分の内面を客観的に分類し、分析してはじめて「ほんとうの自分」がわかるのです。

人間のものの見方や考え方は、類推や連想、それに考察やイメージから成り立っています。
それらは一定不変ではなく、時間的に変化していきます。
ですから、日常的に行っているものの見方やとらえ方はアナログ思考です。
そうしたアナログ的思考を一時的に自分から切り離し、現実を直視して「ほんとうの自分」を見つけようとする方法がネオデジタル思考です。
脳細胞レベルから「自分をわけて、わけて、わけ抜く」発想が、ネオデジタル思考というものなのです。

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【第2章】『1.内観に「欲望」行きのキップはない』の解説の中で、森田健氏が体外離脱の世界で観音様に遭遇した時のエピソードを紹介したが、ここでもう一度引用したい。

「地球の輪廻転生を終えた者よ、待ちなさい」
「私は輪廻を終えたわけではありません。あなたはどなたですか?」
「私はいくつもの惑星での輪廻を卒業した。もうすべてを知り尽くしてしまった。
私に残された役目は指導するだけである。何か聞きたいことはないか」
「人はどこから来て、どこに行くのでしょうか?」
「成長するのが目的だ。子供が大人になり次第に分別をつけていくように、何度も輪廻を繰り返して成長するのだ」
「分別をつけるとは、どういうことでしょうか」
「自分で自分をコントロールするということだ。
すべての感情に縛られてはいけない。常に自分を客観的に見て、
マイナスな感情には影響されないようにすることだ」


この観音様は4.5次元の世界の存在で、5次元を超えた世界だが、意識レベルは5次元より下がる為に「4.5次元」と定義されている。
ここで重要な事は、この観音様のような存在が、いくつもの惑星の輪廻を卒業したという事であり、その為のアドバイスをしている事である。

「自分で自分をコントロールするということだ。
すべての感情に縛られてはいけない。常に自分を客観的に見て、
マイナスな感情には影響されないようにすることだ」


感情は呼吸と連動し、脳波をアルファ波〜シータ波にする事でコントロールする事ができる為、腹式呼吸法の習慣を勧めて来た。
また、日常的に深い呼吸をサポートする「シータリング」を紹介した。
脳波がシータ波になれば、「先入観」「欲望」「マイナス思考」に囚われなくなるという事も説明してきたが、感情(アナログ思考)を排除して、自分を客観的に観る方法がまたに「ネオデジタル内観」なのだ。
posted by アンリ・クリスチャン at 16:29| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月21日

「自分を観察する力」を身につける「ネオデジタル思考」

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


デジタル思考をさらに進化させた「ネオデジタル思考」

ネオデジタル内観実践のコツは、熾烈な自己凝視による現実直視がポイントだと言いました。
では、どうすれば「自己凝視による現実直視の観察」が可能になるのでしょうか。
それが次の問題です。
理論はあるが方法論のないものをムダといいます。非現実的です。
方法論を持たない理論に努力を傾けることを、徒労といいます。
従来の内観には、はっきりした方法論がありませんでした。
だから、徒労に終わってしまう人が少なくなかったのです。

しかし、ネオデジタル内観には方法論が確立されています。
このアプローチをまじめに実践すれば、「真の気づき」「真の自己発見」を確実に体得できます。
ここで絶対に誤解してはいけないことがあります。
「真の気づき」「真の自己発見」は、「思考の領域を超えたもの」ですから、築きの領域ではなく、突然気づくものであり、そこには方法論は存在しません。
方法論や技術的なものを講じても絶対に「真の気づき」に到達することはないのです。
これは「真理は道なき道」であり、すべての思考を超えたところに現れるものだからです。

ネイデジタル内観は、真の気づきではなく、真の気づきを実現する為のもっとも科学的かつもっとも合理的な方法だということです。
たとえば、何かを見つめる為に暗闇で目を凝らしたり、すかしたりしている場合、電灯をつけて明るくすればいいわけですから、電灯のつけかたとスイッチの操作方法教えれば、だれでもスイッチを入れてパッと明るくして、簡単に捜し物を見つけることができるということです。
いままで、精神世界に凝り固まっていた人たちは、「真理に到達するには道なき道を歩め」などと何やらむつかしそうなことばかりいって、真理を知ることもなく悟ったような顔をして人々を煙にまいていたのです。

ネオデジタル内観は違います。
具体的な真理到達の方法を科学的に証明するものであり、真剣に実践すればだれでも「真の意識変革を可能にする方法」なのです。
ネオデジタル内観の実践でもっとも重要なことは、先にも述べた「観察する力」を養うことです。
別の表現をすれば「思考パターンの変革」です。
思考パターンの変革とは、感情を切り離してものごとを正確に観察するデジタル思考を身につけることです。
従来のものの見方や考え方を一時的に思考から切り離し、現実を直視することです。

ネオデジタル内観でのデジタル思考を、「ネオデジタル思考」と呼びます。
ネオデジタル思考とは、デジタル思考をさらに進化させて、内観に応用できるように開発した実践的アプローチです。
デジタル思考を効果的に、しかも無理なくおこなうことで「真の気づき」に到達する方法がネオデジタル思考なのです。
このアプローチを間違いなく踏めば、だれでも「真の気づき」「真の自己発見」が可能になります。
ネオデジタル思考でアナログ思考を迅速に切り離していくコツをつかめば、従来の思考パターンから解放され、あらゆる悩みや問題点は解消されます。
しかも、感情を切り離して現実と直面できますから、いままでわからなかった細かい部分まで鮮明になり、ほんとうの思いやりと優しさがにじみ出てきます。

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このネオデジタル内観を更に進化させたのが「ハイパーネオデジタル内観」である。
人類は今、釈迦の悟りを得る時代に入ったのだ。
posted by アンリ・クリスチャン at 14:17| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月14日

世界平和の実現は内観から(By.アンリ)

少し宗教色の濃い話になってしまうが、前項の「学」についてもう少し補足説明しておきたい。

うぬぼれは人間性を下げるという事だったが、うぬぼれとは「慢心」の事である。
聖書によると、神に次ぐ天使長ルシファーは、慢心によって堕天した。
この話はあくまでも寓話だが、慢心が大罪である事を物語っている。
この堕天神話が我々に教えてくれる事は、慢心から嫉妬や怒り、悲しみなど、
様々な魔界的想念が生み出されるという事である。
そして、波長一致の原理(類友の法則)によって、知らず知らずのうちに、
幽界霊に精神や人生を支配されるようになるのだ。

『日月神示』には、次のように示されている。

「取違ひ慢心一等恐いと申してあろが」
「取違へせん様に慢心せん様に、生れ赤児の心で神示読めよ」
「そなたはよく腹をたてるが、腹がたつのは慢心からであるぞ」


その慢心は「自我」の働きから生まれ、自我からは様々な欲望が生み出される。
釈迦やイエスが闘ったサタンの正体は、この「自我」なのだ。
自我意識は左脳の所産であり、知識を詰め込むという作業は左脳を主体として生きることになる。
つまり、「頭でっかち」というのは左脳偏重の事で、知識を詰め込むばかりでは健全な精神を保つことは出来ないのである。

アーリオーンは次のように言っている。

「知識は両刃の剣だ。使いこなせない知識は害になる。
使いこなせた時に知識は、その人特有の知恵となり、その人を助けるだろう。
知識は多ければいい、というものでは無い。
それを使いこなすだけの勇気と努力と根気と、それを取り入れる時の直観力が必要だ」

「自らの心に積もった、澱のような知識の断片をいつまでも手放さないでいると、
真新しい智慧は育たない」


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引き続き、『日月神示』を見てみよう。

「学が勝ちたら従ってやるぞ
「金や学や智では大峠越せんぞ」
「鉄砲や智では悪くするばかりぞ」
「今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ」
「学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ」
「我よしと云ふ悪魔と学が邪魔している事にまだ気づかぬか」
「智出すから、学出すから、我出すから息詰まるのぞ
生れ赤児と申すのは智も学も我も出さん水晶のことぞ」
「学が人間の智恵と思っていると飛んでもない事になるぞ」
「我れが我れががとれたら判ってくるぞ、慢心おそろしいぞ」
「学に囚はれてまだ目覚めん気の毒がウヨウヨ。気の毒ぢゃなあ」
「神示読まないで智や学でやろうとて、何も、九分九厘でりんどまりぞ」
「何うにもならんと知りつつまだ智や学にすがりてゐるやうでは上の人とは
申されんぞ、智や学越えて神の力にまつはれよ」
「人間心すてて仕舞て、智や学に頼らずに、神の申すこと一つもうたがはず
生れ赤子の心のうぶ心になりて、神の教守ることぞ 」
「学と神の力との大戦ぞ、神国の神の力現わす時が近うなりたぞ」
「何もかも悪の仕組みは判りているぞ、いくらでも攻めて来てござれ、
神には世の本からの神の仕組みしてあるぞ。
学や智恵でまだ神にかなうと思うてか。神にはかなわんぞ」
「戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下ろしもならず、
人民の智や学や算盤では、どうとも出来んことになるのが目に見えているのざから、
早う神の申す通り素直に言うこときけと申しているのざぞ」


『日月神示』は、出口王仁三郎が直受した『伊都能売神諭』の続編だとされいているが、
それには次のように示されている。

「邪神界の悪神の頭が昔からの永い陰謀で、学と智慧と金の力とで、
世界中を自由自在に混乱(みだらし)て来て、今度のような大戦争を起こして
世界中の人民を困(くるし)め、人民の心を日増しに悪くいたして
自己の目的を立てようと致し……」


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結論から言えば、智や学は、神に敵対する「悪魔」の道具であり、
世界を混乱させて戦争に導くものなのだ。
智や学は、自我と同じく「左脳」が司っているが、左脳は「体主霊従主義(唯物思考)」、
右脳は「霊主体従主義(唯心思考)」である。
これを神示では、前者を「悪魔」、後者を「神」と呼んでいるのである。
前者を「自我」、後者を「真我(ほんとうの自分)」と言い換えても良い。

そして、前者が生み出したものが「西洋科学文明」で、
後者が生み出したものが「東洋精神文明」だった。
神と悪魔の最終戦争とは、地球規模で見ると「東洋」と「西洋」の衝突なのだ。
ところが、東洋でも智や学が重視され、物質科学を発展させてきた。
前述の「智や学は、神に敵対する悪魔の道具であり、世界を混乱させて戦争に導くもの」
を個人に置き換えて考えてみてもらいたい。
智や学による左脳偏重、自我の増大が自分自身を混乱させ、狂気へ駆り立てるのだ。
「狂気」というと大袈裟に聞こえるかも知れないが、日常生活の中での欲望、不平不満、
慢心、嫉妬、怒り、悲しみ……等の悪想念こそ、戦争以外の何ものでもない。

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ハルマゲドンの原因を、『日月神示』は次のように指摘している。

「戦恐れてゐるが、臣民の戦位、何が怖いのぞ。
それより己の心に巣くうている悪のみたまが怖いぞ」


「戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない。
世界中の洗濯ざから、いらぬものがなくなるまでは、
終わらぬ道理が分からぬか。
臣民同士のいくさでない、カミと神、アカと赤、
ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。
己の心を見よ、戦が済んでいないであろ。
それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ。
早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一」


「人間のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふていたら
大きな間違いざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ。
あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、
早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ。
肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな。
世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、
この道理わかりたか」


「世界がそなたに映っているのぞ。世界見て己の心早う改心されよ」

つまり、ハルマゲドンとは自我と真我の衝突であり、それによって胸の岩戸が開け、
真我が目覚める(キリストの再臨)ということなのだ。
だからと言って、左脳(自我・知識)を邪悪なものと敵視するのではなく、
右脳とのバランスが重要なのである。
これは交感神経と副交感神経のバランスに置き換えることもできる。
釈迦はその事を「中道」と呼び、それが「ニュートラル思考」なのだ。
その為に最適な方法がハイパーネオデジタル内観」なのである。

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少し長くなるが、引き続き『日月神示』から抜粋する。

「学や智がいらんと申しても、学や智が要らぬのではないぞ。学や智も要るのざぞ」
「そなたは学に囚われて御座るぞ。科学を越えて神の学に生きて下されよ」
「悪殺してしまうのではなく、悪改心させて、ミロクの嬉し嬉しの世にするのが神の願いざから、この道理忘れるでないぞ」
「わが身をすてると申すことは我をすてること、学をすてることぢゃ。
すてると真理がつかめて大層な御用が出来るのであるぞ」
「人の心から悪を取り除かねば神に通じないと教へているが、
それは段階の低い教であるぞ」
「大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ。
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。
抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが」

「悪を悪と見るのが悪」
「悪も御役であるぞ。この道理よく腹に入れて下されよ」
「悪も神の御働きと申すもの、悪にくむこと、悪ぢゃ。
善にくむより尚悪い。何故に判らんのか」
「悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ」
「悪で行けるなら悪でもよいが、悪は影であるから、
悪ではつづかんから早う善に帰れと申すのぞ」
「悪もよいなれど、悪も神の用(ハタラ)きであるなれど、
悪が表に出ること相成らん。
悪を食ふて暮らさなならん時近づいたぞ、悪を噛んで、よく消化し、
浄化して下されよ、悪は善の仮面をかぶっていること多いぞ、
だが悪も大神の中に生まれたものであることを知らねばならん」

「善のみにては力として進展せず、
無と同じこととなり、悪のみにてもまた同様である。
故に神は悪を除かんとは為し給わず、
悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。
何故ならば、悪もまた神の御力の現れの一面なるが故である。
悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、
法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、
この行為こそ、悪そのものである。
この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。
悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の善悪となすことによって、
三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。
この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる」

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「神をはなれた善はなく、また神をはなれた悪のみの悪はあり得ないのである。
殊に地上人はこの善悪の均衡の中にあるが故に、地上人たり得るのであって、
悪を取り去るならば、地上人としての生命はなく、また善はなくなるのである。
この悪を因縁により、また囚われたる感情が生み出す悪だと思ってはならない。
この悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄するのである。
悪のみの世界はなく、また善のみの世界はあり得ない。
所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである」

「人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教へてゐるが、
それは段階の低い教であるぞ。
大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ。
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。
抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが、今迄の教は今迄の教」

「悪と偽に、同時に入ることは、一応の必要悪、必要偽として許される。
何故ならば、それがある為に弥栄し、進展するからである。
悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となるからである」
「悪も元を正せば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地にごりてくるぞ」

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「地上人は絶えず、善、真に導かれると共に、また悪、偽に導かれる。
この場合、この平衡を破るようなことになってはならない。
その平衡が、神の御旨である。
平衡より大平衡に、大平衡より超平衡に、超大平衡にと進み行くことを弥栄というのである。
左手は右手により生き動き、栄える。左手なき右手はなく、右手なき左手はない。
善、真なき悪、偽はなく、悪、偽なき善、真はあり得ない。
神は善・真・悪・偽であるが、その新しき平衡が新しき神を生む。
新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生まれ、神に育てられつつある。
始めなき始めより、終わりなき終わりに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである」

「今日までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、
これが悪魔の御教ぞ。
この御教に人民は、すっかり騙され悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ。
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、
それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、
悪はますます増えるのみ、悪殺すてふそのことが、悪そのものと知らざるや、
神の心は弥栄ぞ。
本来悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、八岐大蛇も金毛も、邪鬼も皆それ生ける神、神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来るなり、
善いさかへば悪なるぞ」


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釈迦とイエスは瞑想中、悪魔の誘惑を受け、それを撃退して悟りを開いた。
この悪魔というのは「自我」の事であり、悟りとは「真我」に気付く事である。
真我を「魂」と呼び換えても良いが、黒住教祖の黒住宗忠は
それを「天照大神の分魂」であると説いた。
天照大神は太陽神であり、イエス・キリストも太陽神の受肉を名乗った。
天照大神が隠れた「天の岩戸」とは、人間の胸に存在する。
そして悟りを開くと岩戸が開け、天照大神(魂)が光り輝く。
これが「キリストの再臨」の真意であり、仏教では「弥勒下生」という。

イエスはミトラ教の太陽神ミトラに比定され、ミトラ教は初期キリスト教に大きな影響を与えたが、
ミトラは仏教にも取り入れられて「マイトレーヤ」と発音され、弥勒菩薩もミトラを語源としている。
キリストは「救世主」という意味だが、「ミトラ=マイトレーヤ=弥勒」も救世神であり、
呼び名は違えど同一の至高存在を指している。
それが「真我」であり、真我に目覚めた人を仏教では「仏陀」と呼ぶ。
仏陀は真我に目覚めた人であるが故に「キリスト(救世主)」であり、
人間は本質的に誰もがキリストなのだ。

さて、『日月神示』では「悪を取り除くのではなく、
抱き参らせよ」と説かれているが、
釈迦も悟りを開く時に「悪魔」を抱き参らせている。

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世界平和の第一歩は、自らの心の平和と安寧の実現からである。
自我に生きる者が世界平和を唱えるのを「偽キリスト」という。
真我に目覚めぬ者が世界平和を唱えるのは、
戦争仕掛け人が反戦運動をするのと同じようなものである。
posted by アンリ・クリスチャン at 09:36| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする