2010年09月23日

STEP4 慰めと感情の動きについて見直す

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


◆チェック1 「安らぎたい」「安定したい」気持ちに振り回されないか。

【人は優しさを欲しがり、慰めを欲しがる。
それらを欲しがっているうちは真理を悟ることはできない。
優しさや慰めを欲しがる気持ちは、他との比較から生まれる。
外から得た情報と比較し、人並みに、あるいは他人以上に安心したいからである。
「安心したい本能的な気持ちは一度でよい」と決心したときから、
真の調和とやすらぎへの道が開ける】


優しさや慰めをほしがる人が多いことは事実です。
それは目や耳を通して得られた情報への反応、つまり肉体の反応として存在するわけですが、それとは違ったところで自己凝視ができる工夫が大事です。
肉体の反応として存在する欲求を「ダメだ」と抑えつけようとするのではなく、その反応を何の感情も入れずに見続けることが重要なのです。
たとえば、「いま、自分がしようとしていることは、やっぱり寂しいからだ」とか「慰めがほしいんだな」といった感じでとらえつづけなければならないのです。
宗教や精神世界の団体に入っている人は、現実が楽しくなかったり、現実の生活のなかにある喜びを見い出すことができないので、組織の中や教えの中にそれらを見い出そうとします。
信仰を持ってしまうと、その枠内ではたしかにうまくやれます。
ただし、そこが安住の場所になり、現実が見えなくなってしまいます。
その安住の場所がほんとうのやすらぎ、ほんとうの安定を与えてくれるかといえば、それはまったく違います。

やすらぎや安定を自分の外側に求めると、「真の気づき」は体得できません。
チェックのところで、「安定したい本能的な気持ちは一度でよい」と言いました。
この意味は、「もうこれしかないのだ」、「必ず真の気づき、真の自己発見をするのだ」という強い決心をし、その決心を肉体細胞に刻み込んでしまうということです。
「安心したい」という気持ちを消すことができないようなところ、つまり細胞レベルに一度インプットしておけば、いちいち「安心したい」という気持ちに振り回されることはありません。
あとは、何も考えずに内観に励むことができます。
内観の本質は「無所得」ですが、最初からまったく無所得であれば何もできません。
だれでも「何かがほしい」、「何かになりたい」と思ってそこから内観を始めようとします。
「真実に気づきたい」というのも、願望であり欲望です。
最初は「強く気づきたい」と思うわけですが、一度そう強烈に思ったら、その決心を細胞にいき渡らせてしまうことです。
あとは、「どれくらい進んだのだろうか」と途中で振り返ったりせず、先のこともいっさい考えず、ただひたすらに「いま」という時間を一所懸命にやるだけです。
ただ情熱を燃やし、その情熱の灯を消すことなく進むことが大事です。

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解説が難しいが、どれだけ否定しようとも、優しさや慰めを欲しがる気持ちは、他者や過去の自分との比較によって生まれている事を否定することはできない。
これらの欲求を肯定も否定もせず、感情を切り離して、デジタル思考でありのままを直視すれば良い。
また、ネオデジタル内観によって、真の安らぎを得る事が出来るが、だからこそ、とりあえずそのような願望や期待を手放した方が良いという根拠を述べておこう。
度々述べてきたが、「捨てれば掴める」という事を前提に考えれば良い。
最初からまったく無所得であれば何もできないというのは、人間は本能的に脳内報酬を求める生き物だからである。
脳内報酬とは、β-エンドルフィンなどの「快」を感じる神経伝達物質である。
この「脳内モルヒネ」と呼ばれるホルモンは、高次の欲求や自己実現を果たす過程で分泌されるもので、決してそれを否定する訳ではない。

真我の願いでもある「自己発見」という目標を強くインプットすることが最初のステップである。
だが、それに囚われたり執着してはいけない事は、釈迦も説いている。
目標や願望を定めたら、それを手放すことが目標達成・願望実現のキーなのだ。
その事は、政木和三氏や森田健氏なども提唱しており、私はその「成功哲学」の体系化にも取り組んでいる。
そして、目標や願望を手放したら、途中で振り返ったり、先の事を考えたりせず、「一所懸命」にやる事である。
一生懸命ではなく「一所懸命」という事も、政木和三氏が強調していたポイントである。

それでは、政木語録を紹介しておこう。

『人は何をするにも、肉体的な欲望を持ってしてはうまくいかない。
日本人はすぐ「一生懸命頑張ろう」と言う。
しかし、「一生懸命頑張る」とは、裏を返せば欲望の目標を目指すことである。
真の「一所懸命」とは、目標は心の底にあるが、それを忘れて、
自分の現在すべきことだけに全力を投入することである。
「人間よ、一生涯かかっても、絶対に成就しないような大きな願望を持て。
持てば忘れよ。そして、その方向に向かって自分の足下の一歩一歩を堅実に歩めよ」
そして「頭の中にできあがっていることだけを実行せよ。
実行に移れば神経を一切使うな」の神示が私の人生に奇跡をもたらしたのである』

posted by アンリ・クリスチャン at 02:32| Comment(0) | 第4章「ネオデジタル内観」実践法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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