2010年09月18日

◆チェック6 何も期待しないで内観を始められるか

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


【教える者と教わる者とが存在する相対の世界には、「真の気づき」はない。
まして、そこから真理を見出すことは絶対にできない。
そこにあるのは相対間の感情と知識だけである。
知識と感情で相対を超えた一元の世界を知ることはできない】


「真の気づき」は教えられるものではありませんし、教わることもできません。
だから、師弟関係は成り立ちません。
ですから、私は何も教えることはないし、もちろんあなたの心を操縦することもできません。
私から何かを学ぼうとする姿勢があれば、それはダメです。
内観は知識を増やすことではなく、知識を整理し、よけいな知識は捨て去ることです。
何かを学んでそれを自分のものにして得をしようとする考えは、厳しくチェックする必要があります。
内観の出発点は、そのようなことは何も期待しない「無所得」ということです。

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「教える者と教わる者とが存在する相対の世界に真の気づきはない」という事は、端的に言えば「宗教に教祖は要らない」ということになるが、「心の学校」の佐藤康行氏も同様の事を述べている。

「これまでの宗教は釈迦やイエスのような選ばれた人が、神の意志、宇宙の法則を霊感によって受け取り、それを言葉にして身近な弟子に伝え、弟子が民衆に伝える形で広まってきました。
これからは一人ひとりが真我を通じて、宇宙と直結して、宇宙の法則を悟っていく時代です。
今日の宗教が人類全体の幸福や平和な暮らしに、必ずしも良く寄与していないことは、残念ながら認めざるを得ません。
なぜそうなるのですか。
それは釈尊やイエスの教えが伝言ゲームのように、長い間に少しずつずれて、真意が正しく伝わらなかったからです。
また、多くの伝道者が介在したことで、考えが複雑難解になってしまいました。
もともと人間一人ひとりが宇宙と直結した存在ですから、一人ひとりが宇宙の法則と直結して生きれば、そういうずれは起きてきません。
そのためには真我を開発すればいいのです」


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内観に何も期待しないというのは、STEP1のチェック1「内観の動機が願望から生まれていないか」で解説した通りである。
内観によって得られることは無限にあるが、それを得る為には期待してはいけないことを肝に銘じておく必要がある。
内観によって得られる悟り、真の気付きは、文字や言葉で他人に教えることはできない。
それをすれば、方便の宗教と同じことである。
また、他人から何かを学ぼうという依存精神がある限り、真の気付きを得ることはできない。
アリオンも、内観によって自立することを勧めている。

内観は教義を学んだり、知識を得たりといった、外部から情報を取り入れる事とは全く正反対の作業である事を忘れてはならない。
タマネギの皮の話を思い出して頂きたい。また、期待するのは欲望からである。
脳波がシータ波になれば欲望は消滅するが、それ以前に、欲望や期待を捨てて内観に取り組む姿勢が大切である。
内観によって得られるものは、知識ではなく「智慧=宇宙の叡智」だという事を肝に銘じておいて頂きたい。
posted by アンリ・クリスチャン at 06:25| Comment(0) | 第4章「ネオデジタル内観」実践法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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