2010年09月15日

◆チェック2 とりあえず神や仏などと無縁になれるか

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


【神を語る者は神を知らない。
神が人間より小さなものならば、語ることはできる。
しかし、神が全知全能で絶対者であるならば、
人間の小さなモノサシで計り知ることはできない。
神を想像したり、空想にふけることはできる。
ただし、想像や空想は現実ではない。
どんないい訳をしても、神を語ることは現実直視を阻害する】


ここで重要なことは、ネオデジタル内観実践にあたって、神とか仏とかはとりあえず無視するということです。
実際に「真の気づき」を体得し、「私は意識だ!」という認識ができたときは、そこからここまでが意識で、ここからあそこまでが何々だなどということはありません。
そのような垣根や境界のようなものがすっかり取れるからです。
表現を変えると、「私が宇宙!」という状態です。
そうした状態では、神や仏などという言葉、私とかあなたとかいった相対の世界から切り離されます。
唯一絶対の境地ですから、語らなくても絶対的な存在を実感できるのです。
ですから、「神もない」「仏もない」状態から、ネオデジタル内観を始めます。
ましてや悪魔だとか悪霊だとか、指導神だとか指導霊だとか、そういうものはいっさい存在しないというふうにしておくほうがいいのです。
思うことと現実とは違うということであり、悟ったと思うことと悟りとは違うということです。

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ネオデジタル内観により、「自他一体」「宇宙即我」という境地を体得する事が出来る。
その時、無神論と有神論が紙一重である事が理解出来る。
西洋人は特定の人格神を信じているが、自然を征服する事で文明を発展させてきた。
縄文人は大自然の中に神を見て畏敬の念を抱いていた。
神を信じていなくても、自然と調和を図る人の方が「本物の有神論者」とも言える。

シルバー・バーチは次のように伝えている。
「祭壇の前に平伏し神への忠誠を誓い、選ばれし者の一人となったと信じている人よりも、唯物主義とか無神論者、合理主義者、不可知論者といった宗教とは無縁の人の方が遥かに霊格が高いといったケースがいくらもあります。
問題は何を信じるかではなく、これまでどんなことをして来たかです」


中国の超能力者・孫儲琳は5次元以上の指導霊や天使と交信している人物だが、森田健氏が「神」について質問をすると「神って何?」と答えたという。
まさに、道教や禅の「黙して語らず」の世界である。

浅野和三郎だったか…日本の神道系宗教の偉人にも同様のエピソードがある。
「神とはどのような存在ですか」という質問に対して黙して語らず、二度三度質問しても答えなかったという。
それでもしつこく質問すると、彼は起き上がって正装に着替えて姿勢を正して正座し、やはり何も語らなかったという。

『日月神示』には次のように示されている。

「そなたは一度神を捨てよ。
神にしがみついているから、小さい囚われた、ゆとりの無い神を、そなたがつくり上げているぞ。
信ずれば、信ずるほど危ないぞ。
大空に向かって大きく呼吸し、今までの神を捨てて心の洗濯をせよ。
神を信じつつ、迷信に落ちていると申してあること、よく心得よ」

「日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。
一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ」


いずれ、誰もが神仏の存在を信じなくなる程の大艱難の時代が訪れるという。
その時までに、自分で創り上げた神の概念を破壊し、真の神を知って平和と安寧を確立しておく必要がある。

「神様でも大神様は判らんのであるぞ」

神様でも大神様の事は判らないので、人間に神様の事が判る訳がない……
その原点に還る事がネオデジタル内観の出発点だと言えるだろう。
神を知ることは、究極的に自分を知ることであり、「宇宙即我」の境地こそが、神を実感する唯一の方法である。
従って、一度、無神論になって内観を始める必要があるということである。
posted by アンリ・クリスチャン at 13:44| Comment(0) | 第4章「ネオデジタル内観」実践法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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