2010年08月06日

いろいろな回り道の末に出会った本物の内観

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


東京都 K・Tさん(49歳・主婦)

■精神世界への興味が自分から実感を奪ってしまった

ネオデジタル内観に出会うまで、私はずいぶんと寄り道をしました。
子供たちが学校に通うようになり、やっと時間の余裕ができましたので、以前から興味のあったヨガ教室に入ったのがそもそもの始まりでした。
最初の頃は、教室が終わったあとの気の合った人たちとのおしゃべり、それに食事やお茶が楽しみでした。
でも、だんだんとそんなお付き合いに物足りなさを感じ、講師を目指して本格的に勉強し始めました。
健康法としての呼吸法、ヨガのアーサナ、そして整体や心理療法など、身体と心に関することを身につけていきました。
潜在意識の鍛錬として密教の世界や神道にも首を突っ込み、精神世界に熱心に関わるようにもなりました。
ところが、こうした修業をすればするほど知識ばかりが頭の中で空回りし、足が地につかない状態に陥ってしまいました。
現実感覚がなくなり、自分が実感できなくなってしまったのです。
そんなとき、ある人から、自分の内側を掘り下げていくという内観を紹介されました。
自分の浄化にもいいのではないかと思い、主人に相談して、どうにか一週間の時間をつくりました。
一週間の間、畳敷きの狭い部屋にこもり、いままでの人生を振り返って、してもらったこと、お返しできたこと、お世話になったことなどを調べました。
普段から涙もろい私ですから、すっかり感情を揺さぶられ、母や父、それに現在の家族にどれだけ傲慢であったかに気づき、申し訳なさで泣きはらして一週間が過ぎました。
内観所を出たときは、心がすっかり洗い清められたような感じでした。


■内観所での成果は現実の前にすぐに無力になった

しかし、日々の生活に戻ると、あれほどの感謝の気持ちも次第次第に薄れていきます。
いつしか、まったくもとの自分に戻ってしまいました。
一週間の内観所修業であれだけ感謝の心を感じ、心が洗い清められたような感じがあったのですが、それは一時しのぎの浄化にすぎなかったのです。
一瞬であっても、内観が私の心を清めてくれました。
だから、内観自体は意味のあることだという感じはありましたが、普通の生活に戻れば元の黙阿弥では困ります。
そこで、もっと効果のある内観、本物の内観を探し始めました。
そんなときでした。山本先生の書かれた『あなたのなかに、すべてがある』という本に出会ったのです。
本を読むうちに、従来の内観ではどうしてもうまくいかなかった点を改良した自己変革システム、それにデジタル内観という不思議なネーミングに興味を覚えました。
さっそくに面談をしていただきました。そのとき、先生からこう言われました。
「興味本意では長続きしませんから、そこだけはよく考えてください」
続くかどうかの自信はありませんでしたが、とにかくネオデジタル内観を始めることにしました。
ネオデジタル内観を始めた動機は、二つありました。
一つは、頭が知識でいっぱいになって現実から離れてしまった自分を取り戻すことです。
もう一つは、宗教や精神世界に興味を広げていったときと同じで、「いま教えている健康法をより確かなものにまで高めたい」ということでした。
その一つの手がかりになればいいと思ったのです。


■現実との関わりの中で、本当の自分に目覚めたい

いざ始めることは決めたものの、「忙しいから今できないけど、それは仕方がない」とか、「もう少ししたらちゃんとやろう」とか言い訳ばかりする日々を送っていました。
毎月、会報が郵送されてきます。何度か面談も受けました。
そうした折々に、山本先生の熱意を感じ、言い訳ばかりしている自分をただただ情けなく思ったものです。
こんな私でしたが、一歩踏み出していろいろ観察してみると、今まで人のためになると思い、ひたすら技術の向上に努めてきた健康法自体に疑問を感じ始めました。
他力的な苦痛の除去や手当ては病気をさらに増幅させるもので、病気を根本的に解消するものではないことを知りました。
調和・不調和の観点からすると、今まで教えていた健康法は不調和を助長するということがわかり、健康法の指導はやめることにしました。
いま私は、現実との関わりの中で、本当の自分に目覚めたいと思っています。
パソコンを使うネオデジタル内観は、より扱いやすく、効率的にもなっています。
楽しみながら内観ができるようになってきましたし、先生の適切なアドバイスが何といっても力強い味方です。
まだまだ浅い内観ですが、自分を守ることばかり考えていること、自分が勝手につくりあげてきた既成観念にがんじがらめになっている自分の現実、つまらないこだわりに振り回されている自分が見えたりして、おもしろいものです。
ネオデジタル内観にたどり着くまで、いろいろな回り道をしました。
でも、そうした回り道があったからこそ、ネオデジタル内観にめぐり合ったときにその真価がわかったのだと思います。
これからも、日々の生活の中でのおこないや言葉をより一層厳しくチェックしながら、内観を深めていきたいと考えています。

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宗教や精神世界に没頭する危険性がよく分かる記事だと思う。
このK・Tさんの場合はヨガなどの健康法も行なっていたので、まだ心身のバランスがとれていたようだが、宗教や精神世界で得るものは結局「知識」であり、意識進化の妨げになるケースも多い。
その事は「世界平和の実現は内観から」で詳述した通りである。
http://world888.seesaa.net/article/149725373.html

また、低級霊と波長が合って、霊媒体質・霊媒心質になっていく人も多い。
『日月神示』には、宗教や精神世界の洗脳を解く効果もあが、その神示ですら「ハラに入れたら一度捨てよ」と示されている。
私は宗教・精神世界・スピリチュアル系だと勘違いされる事が多いが、実は全く違うし、日月神示原理主義者でもない。

さて、内観道場で内観の効果を感じても、日常生活に戻れば元の木阿弥……
「この世は修行の場」と言われている通り、この世俗の中に生きて意識進化を図る事が大いなる修行なのだ。
その事は「従来の内観はここに問題があった」でも詳述した。
http://world888.seesaa.net/article/148665421.html

自分で自分をコントロールし、すべての感情に縛られず、常に自分を客観的に見て、マイナスな感情に影響されないようにすることが世俗での修業なのだ。
その為に、ハイパーネオデジタル内観が存在するのである。

また、「他力的な苦痛の除去や手当ては病気をさらに増幅させるもので、病気を根本的に解消するものではないことを知りました」との事だが、『日月神示』にも同様の事が記されている。

「邪道的要求を容れて一時的に病気を治すと、それに倍してブリ返すぞ」

私もヒーリング能力があるが、そういった理由で人の病気治しはしないようにしている。
「天は自ら助くる者を助く」という言葉があるが、重要な事は自分で真の健康を獲得する事であり、それは内観とも無関係ではない。
そこで私は、「神泉組1」とワンセットで広める活動をしているのである。
posted by アンリ・クリスチャン at 04:07| Comment(1) | 第3章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
4.進学塾を経営する私の息子が、突然、不登校に陥ってを読みたくてクリックしてもこちらの3の記事が開いてしまいます。
修正をお願いいたします。
Posted by 佳子 at 2017年03月27日 13:46
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