2010年08月05日

「トイレのないマンション」それは私のことだった

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


神奈川県 N・Iさん(34歳・元環境NGOスタッフ)

■環境問題に取り組んでいた私の三つの疑問

二十代の頃から環境問題に関心を持ち、少し前までアルバイトをしながらある環境団体の専属スタッフとして活動していました。
ネオデジタル内観を知ったのは、インターネットで環境関連の情報を集めている時です。
自分の活動に少し疑問を感じ始めていた時でもあったので、さっそく資料を請求しました。
私の疑問はいくつかありましたが、大きく分けると三つになります。
一つは、環境問題がブームで終わってしまうのではないかという危惧です。
ここ数年マスコミなどで環境問題は盛んに取り上げられていますが、果たして根付くのかという心配が私にはあったのです。
次に、日常生活の見直しが大事ということで、暮らしの中でのリサイクルの工夫がいろいろ紹介されたりしていますが、本当にそんなことで環境問題が解決されるのだろうかという疑問です。
最後が、一緒に活動している人たちの姿勢への疑問です。
よくいえば個性的、悪くいえば他人の意見に耳を貸さない頑固者が少なくないのです。
こうした疑問が心の中に広がり、以前のような純粋な気持ちで活動できなくなっていました。
私の最大の問題は、純粋な気持ちで活動できなくなっている自分への苛立ちと焦りだったのです。
ネオデジタル内観の資料を送っていただき、山本先生とメール交換を始めました。
先生のメールの一つに、「個々の意識の変革浄化なしに環境浄化はありえない」という言葉がありました。
これは今まで私たちがやってきたこと、考えてきたことと似ていました。
「日常生活の見直し」、「個人の意識からしか環境問題は解決されない」と私たちも考えていたからです。
しかし、じつは全く違うことだったのです。
先生とのメールのやり取りの中で、私が抱いていた疑問が何だったのか、その正体が少しずつ明らかになっていきました。


■自分の気持ちがわからない

今の環境問題でのやり取りは、現象面に終始しています。
ゴミが多すぎて困るから減らす、あるいは再利用の方法を考える。
温暖化が進むと困るから二酸化炭素の排出量を減らしたり、フロンの使用を制限する。
埋め立てが進むと鳥や魚の棲むところがなくなるから、埋め立てに反対する。
そして、それらは政府や企業、自治体に対する抗議であったり、一般市民への呼びかけであったり、ライフスタイルの見直しだったりします。
しかし、こういう問題が生じるに至った原因、こういう問題を発生させた人間の思考にまでメスを入れるということはほとんどありませんでした。
考えないこともなかったのですが、「心の持ちようを変えなくてはいけない」といった程度にとどまっていました。
各地で色々な問題が生じています。
その一つ一つに対策を立てることは、たしかに一時的に効果はあるでしょう。
でも、あるところを押さえればまた別のところから新しい問題として現れて来るだけで、いつまでたっても改善の方向には向かわないように思いました。
人間存在の在り方やエゴについて、学者や知識人、文化人といわれる方々は、哲学的に抽象的に評論します。
けれども、それは私の日常生活からは遠く感じられるものでした。
内観という言葉は、初めは聞きなれない言葉でした。
内観とは、毎日の生活の中で、自分が何に価値を置き、何を考え、どう行動しているかを見ていくことです。
だから、誰にでもできることですし、身近で簡単なことのはずです。
だって、自分を見ればいいんですから。
簡単なはずのそのことが、私の場合は難航しました。
素直な自分の感情、自分の気持ちが自分で分からないのです。
「こうだ」と思って書き出してみても、あとで見るとどこか空々しいのです。
毎日の反省も、「これはいけなかった。こうしなければいけない。○○に注意しよう」と、書こうと思えばいくらでも書けるのです。
でも、内容のない優等生の作文のようで、何だか他人事のようになってしまうのです。
内観の一つの手法として、いろいろなものを「好き」と「嫌い」に分けていく方法があります。
ところが、自分の目の前にあるものが好きなのか嫌いなのか、私にはわからないのです。
たとえば、車です。
私は小さい頃からドライブに連れていってもらうのが好きだったのですが、環境問題に関心を持ってからは移動には電車を使い、毎日の生活はもっぱら自転車を利用していました。
自分一人の移動のために、まして遊びのために車を使うなんてもってのほかです。
「車は好きだけど嫌い、嫌いだけど好き」、何だか恋人と別れるかどうか迷っているような感じで、結論が出ません。
そんな感じのものがいっぱいあって、私は宙ぶらりんの状態なのです。


■「内観は掃除と同じ」と言われて

先生からはよく言われました。
「あなたは考えすぎる傾向がありますね。考えるのをやめるようにしなさい」
何度もそう言われましたが、「考えるのをやめるって、どういうこと?やめてどうすればいいの?」と、また考えてしまいます。
そんな事の繰り返しでした。
あるとき、何かのついでに、私が新しいアルバイトを探しているとお話しました。
すると、先生はこうおっしゃったのです。
「アルバイトをするんだったら、お掃除のお仕事がいいですよ。
掃除は内観ととてもよく似ています。
両方とも、ゴチャゴチャ汚れてきたなくなったものからゴミを取り、きれいに磨いて整理する。
環境を良くしたい、世の中をきれいにしたいと思っているのなら、お掃除の仕事が一番ですよ」
「掃除のアルバイトなんて」と思いました。そんな恰好の悪い仕事は嫌だと思いました。
「あれはオバサンの仕事、ほかに働き口のない人の仕事だわ。友達に見られたら恥ずかしい」とも思いました。
そんな心を見透かしてか、先生は色々な話をして下さいました。
若い頃、先生も掃除の仕事をされていたこと。
地球上の生物で一番多いのが微生物で、その微生物が物を腐らせ、分解し、土に帰してくれるから循環が起こり、次の生命が生まれて来ること。
ハイエナやハゲタカは、人間が勝手に草原の嫌われものにしているけれど、死体や他の動物の食べ残しをきれいに掃除してくれていること。
言われてみれば、彼らがいなければ、草原のあちこちには死体が転がり、悪臭のたちこめるおぞましい世界でしょう。
私は、毎日、駅から電車に乗って移動しています。
もし、ゴミを集めてくれる人や掃除してくれる人がいなかったらどうでしょう。
きたない駅や街は荒れて寒々とした感じがありますし、いつもきれいにされているところは清々しくて気持ちもいいものです。
だからといって、「いつも私がこんなにきれいにしてあげているのよ」と偉そうに自慢する人を見たことはありません。
みんな黙々とゴミを集め、掃除されています。
それなのに私は、いままでそれを「ありがたい」と思ったことがありませんでした。
「見ているようで、見ていないことがいっぱいあるんだ」
私は、そう気づきました。


■先生の言葉の意味がずっしりと心に響いた

思い切って掃除のアルバイトを始めてみると、想像とはまったく違う世界でした。
掃除の手順や掃除用具一つとっても、至るところに創意と工夫があり、感心させられることばかりです。
ある日、仕事から帰ってきた私は、トイレの汚れが妙に気になって掃除を始めました。
便座の奥のほうは狭くて手が入りづらく、ホコリがたまっていても、いつも無視していたところです。
「つくるときは、掃除する身にもなってつくってほしいわよね」
そう独り事をつぶやきながら掃除していると、「トイレのないマンション」という言葉が頭に浮かんできました。
「トイレのないマンション」とは、反原発運動をおこなっている人たちが、原子力発電所を称して使った言葉です。
廃棄物処理の問題をタナ上げにし、具体的な処理の技術も対策もないままにつくられていく原子力発電所を、「トイレのないマンション」と表現したのです。
「きっと原発を推進している人たちは、トイレ掃除なんか考えてもみない人たちだろうなあ。
トイレ掃除をしている人が考えたら、あんな施設はつくらなかっただろうな」
そう思った次の瞬間、私は愕然としました。
ただ目の前の問題を解決する事ばかりを考え、あとを振り返らずに進んでいる人たち……。
欲しいものをつくりだすことと手に入れることだけに一生懸命で、あとは野となれ山となれの人たち……。
その姿勢は、現代文明が歩んできた姿そのものです。
そして、今の自分、今までの自分の人生の生き方でもあったと気づいたのです。
やりたいことを優先し、引き止めるものは振りほどき、ゆく手の障害物は踏み倒し、ただただ「これが私の生きる道」と突っ走ってきた自分……。
忠告してくれる者はうるさがり、賛同してくれる人とだけ付き合おうとしていた自分……。
そのことに気づかず、ただ企業や国や自治体、それにほかの人たちの生活スタイルを批判していた自分……。
「個々の意識の変革浄化なくして環境浄化はありえない」
そのとき初めて、先生の言葉の意味が見えたのです。
題目としての「意識の変革浄化」ではなく、自分の生活を通して、自分の生き方を通して環境をとらえなければならない。
そうでなければ、環境問題なんて語る資格がないと気づいたのです。
自分の気づかないところで、こういうことはいっぱいあるでしょう。
そういうものを見つけていくこと、そういうものが見えるようになること。
それが内観じゃないかと思います。
いまやっと、階段に一歩足をかけることができたような気がしています。

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かつて私はネオデジタル内観をする前に、心の学校の内観を受けた。
そして、環境問題を考えてNPO法人設立の申請を出した。
また、私はアルバイトは絶対にしないと固く誓って生きてきたが、内観のせいかそのような拘りがなくなり、掃除のアルバイトをしようと考えていた。
その頃はまだこの本を読んでいなかったので、環境問題や掃除のアルバイトに興味を持ったのは偶然だった。

結局、掃除のアルバイトではなくホストクラブのバイトを選んだのだが、そこで待っていたのは徹底的な掃除だった。
トイレはもちろん、おしぼりで床の拭き掃除……営業時間外の仕事なので無償の労働だった。
そのアルバイトはある理由で数日で辞めてしまい、ちょうどその時に「絶対変革」の本を読んでネオデジタル内観を実践したのだった。
今までに紹介したアイテムを使用して修行をしていた私は、簡単に「真の自己発見」をしてしまったのである。
これを名付けて「ハイパーネオデジタル内観」という。

また、高校生の頃に掃除のアルバイトをした事がある。
学校の校舎がビルだった為、清掃会社が入っていたので、そこで雇ってもらったのである。
放課後、教室や廊下、階段、トイレなどを、おばさんと一緒に掃除していた。
当然ながら他の生徒に目撃されていたが、幸いにも他人の目を気にしない性格で、掃除をしている姿を見られてプライドが傷つくという事もなかった。
現在私はNPOの本格始動と共に、世界が直面している諸問題の解決策を提案し、新世界秩序の構築に向けて働きかける計画をしている。
だが、基礎となるのはやはり「内観」であり、ハイパーネオデジタル内観を世界に普及させる事が、真の国際問題処理に貢献する事になると信じている。

松下政経塾でも、昔は掃除の教育しかされなかったらしい。
近年、「運勢をUPさせる掃除術」という類の本が沢山出版されているが、非常に良い傾向だと思う。
獣は以前、以下のの本を買ったが非常に良かったので一読をお薦めする。
著者の名前は、偶然にも山本健二氏と漢字違いの同姓同名である。
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私は仏教系の小学校に行っていて、「宗教」という科目の授業で聞いた逸話だが、釈迦の弟子でお経が覚えられない頭の悪い弟子がいた。
彼は読経の代わりにひたすら掃除をし続けることで、死後、釈迦の弟子の中で最も高位の天界に逝ったという。

「隗(かい)より始めよ」という言葉がある。
大きな事を成すには小さな事から始めよという意味である。
環境問題に取り組むなら、まずは身近な掃除から始めるべきなのだ。

『日月神示』も同じ事を説いている。

「小さいことから始めよ。小乗の行と馬鹿にするでないぞ。
小乗の行から大乗の真理を掴むのであるぞ」


そして、『日月神示』には「カイの御用」という言葉が登場する。

「江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、
カイの御用も忘れてならんのざぞ」


尾張(終わり)に対して、カイは「初め」という意味だと解釈できるが、それは間違いではないようだ。

「食い物大切に、家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ。初めの行ざぞ」

カイには神という意味もあり、掃除は神の御用であり、初めの行なのだ。
人々が心の掃除をすれば、世界の大掃除(天変地異)も小さな規模で済む。
戦争も全く同じ原理である。

「戦恐れているが、臣民の戦くらい、何が恐いのぞ。
それより己の心に巣喰うてる悪のみたまが恐いぞ」

「世界がそなたに移っているのぞ。世界見て己の心早う改心致されよ」


世界平和の第一歩は、心と血液の掃除洗濯(身魂磨き)なのだ。
また、『日月神示』を読む事でも身魂磨きが出来るそうだ。

「毎日、一生懸命に掃除していても、何処かにホコリ残るもんぢゃ。
まして掃除せん心にホコリつもっていること位、
誰にでも判っているのであろうが。神示で掃除せよ」


読むだけでOKの極めて簡単な修業である。
ひふみ神示のダイジェスト版「太神の布告」をお薦めする
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posted by アンリ・クリスチャン at 00:10| Comment(0) | 第3章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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