2010年06月12日

ネオデジタル内観の先生はあなた自身である

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


学ぼうとしても何も出てこない

ここまでで、宗教や精神世界、そして従来の内観とネオデジタル内観の違い、さらにネオデジタル内観の成果を理解していただけたと思います。
ネオデジタル内観を理解して日々の生活の中で実行に移せば、だれでも「真の気づき」、「真の自己発見」を必ず体得できます。
次の第三章では、ネオデジタル内観の実践者の声を紹介しますが、そのまえにいままでの内容を整理しておきたいと思います。
ネオデジタル内観の重要なポイントを整理しておくことで、以下の話が理解しやすくなると思うからです。

ネオデジタル内観を本当に自分のものとするためには、また重要なポイントが二つあります。
一つ目のポイントは「内観とは何か」ということです。
内観とは、自らの自分の内面を徹底的に観察し、「真の気づき」、「真の自己発見」を達成するということです。
ですから、学ぶことはまったく必要ありません。

従来の伝統的な精神修養とかいろいろな研修、それに各種のセミナーでは、指導者がいて、その指導者からノウハウを学び、身につけることが主流でした。
内観は、そうした指導者からノウハウを学ぶことではありません。
それどころか、すでに学んだものを一つ一つチェックし、消していくことが大事です。

生まれてから今までの環境や教育、それに習慣や体験などによって、私たちにはものの見方や考え方の癖がついてしまっています。
長い間にわたり、そうしたいろいろとよけいな「お荷物」を背負っているわけです。
よけいなお荷物を別の言葉でいえば、大きな価値観・先入観から小さなものの見方までです。
たとえば、「人間は愛を素晴らしいものと思う必要がある」から、「自分はあれは好きだ、嫌いだ」、それに「こうしてはいけない、こうしなければならない」など、すべて生まれてから現在までの間にできた癖に人は縛られているのです。

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この余計なお荷物を神道用語で「罪(積み)穢れ」という。
それ故、人は輪廻を繰り返さなければならないのだ。
余計なお荷物を背負って縛られている限りは、天国への階段を昇ることは出来ないのである。
だが、性格が遺伝子情報に組み込まれている通り、ものの見方や考え方の癖、思考パターンは、生まれてから現在までの習慣や体験によるものだけではなく、先祖や過去世から受け継いでいるのだ。

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須藤アキオ氏の著書『王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける』には、このように書かれている。

「人によって魂(心)には一種の癖あるいは個性がある。
心理学的にいえば、自我が被る仮面(ペルソナ)やコンプレックスである。
個々の潔斎法は困難、しかも糸口は千差万別、百人百様だが、では、個々の癖はいったいどのように現れるのか。
…………(中略)…………
古神道では、霊魂は真神(創造主)から分け与えられたもの(分霊)で、直霊(一霊)と荒魂・奇魂・和魂・幸魂(四魂)により構成されていると考える」


この一霊四魂(四位一体の一霊)を聖書で「YHWH=ヤハウェ」と呼ぶ。
アントロポゾフィー(人智学)の創始者ルドルフ・シュタイナーも、「人間の4つの気質」を説いているが同じような概念である。
この四魂(心の4つの働き)が円満に活動することは「人格の完成」を意味し、この四魂を統率する直霊には「省みる」という戒律がある。
省みるとは内省、即ち「内観」である。

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では引き続き、同書から引用させて頂きたい。

「さて、以上の四魂とは、あくまでも心の働きのことであるが、これに対して、より本質的な考え方がある。
すなわち、〔@本守護神〕〔A副守護神〕〔B正守護神〕の三つである。
このように3つに分類はされるが、実際に三つの精霊がいるというわけではなく、三つの顕れがあるということである。
〔@本守護神〕は本霊ともいわれ、先の説明でいえば、直霊となって顕れる(同じ意味ではない)。
…………(中略)…………
人間は《実数の世界(物質界)》のなかで最後に生まれた哺乳類で、あらゆる意味で完成された存在である。
このもっとも複雑な精神活動を行う人間は、もっとも複雑精緻な働きを有しており、その働きの本籍(自己)は、《実数の世界(物質界)》の最果てに位置しているといえるだろう。
これを比喩的には、主神の分霊であるという。
…………(中略)…………
古代人が『言葉には精霊が宿る』と考えたように、A氏にはAの精霊が、B氏にはBの精霊が、わたしにはわたしの精霊があり、《実数の世界(物質界)》にいる人間は、《虚数の世界(神霊界)》への窓口である心を通して、これを感知している。
この精霊が活動力(働き)であることはいうまでもない。
この天賦的な活動力を〔@本守護神〕という。
この実数・虚数の両活動が直結していた時代、人間の魂は遠心力に働いており、心の躍動がそのまま言葉になっていたのだ。
この黄金時代から、白銀、赤銅、黒鉄時代を経て、いまや泥土時代を迎えている。
つまり、人間側の心からいえば、〔@本守護神〕は眠っている状態にあるといえるだろう。
ユングの心理学では、「自己」は無意識界(虚数の世界)にあり、これを人が認知することはないとされるが、その意識界における現れであり、社会的な仮面やさまざまなコンプレックスに苛まれる「自我」は、無意識界と接触を図り、統合性を目指す過程で、さまざまな媒介者――人に仮託して夢などに現れる無意識の側面が現れるとする。
この自己こそが〔@本守護神〕である。
これは言葉とその意味が乖離しているということで、言霊思想を中核としていた日本人の場合、この乖離は日本人をしてじつに惨めな状態に陥らせ、いつまでも西洋に対するコンプレックスが抜けない。
この状態をユング派の心理療法家・河合隼雄氏は、
『日本人の自我が無意識から独立した存在として確立されておらず、自己との漠然とした結びつきの中で安定している』
と述べている。つまり、〔@本守護神〕と、漠然としたつながりを保持しているということである」


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少し難しい話だが、深く考えずに読み進めて頂きたい。
また、ここで言う「自我」は、エゴなどの悪い意味ではなく、単純に「左脳の働き=顕在意識」と考えていただきたい。
「日本人は自我が確立されていない」とよく言われるが、それについてアーリオーンは次のように述べている。

『自我の確立には、まず「自知」だろう。
自分を知るというのは「言うは易し行うは難し」の代表選手見たいなものだ。
自分で思い込んだ世界での自分を知る――というのではなく、
自分と呼ぶ個体の生きている環境の中の雑多な反映物をも通して見る、ことも必要だ。
それで私は「自分を観る」ことを勧めている』


自分を観るとは「内観」に他ならないが、生きている環境の中の雑多な反映物をも通して見るという事は、やはりアーリオーンも世俗から隔離して隠遁生活をする事は勧めていない。

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それでは次に、「正守護神」について須藤氏の説明を見てみよう。

「さて、ここで問題となるのが、媒介者たる〔A正守護神〕である。
これは宗教一般が俗に守護霊などと称する存在で、人間を善導する働き(活動力)だとされている。
出口王仁三郎が、
『自分の天賦の霊魂以外に他の神がかかって守護することはない』
と著わしているように、何らかの霊や神が守護しているというわけではなく、心の中のそのような顕れに過ぎない。
たとえば、産土の神(土地の守り神)が守るというのも、村長が村民の世話をするのと同様で、直接産土の神が来て守護するというわけではない。
人間の心を善導する〔A正守護神〕とは、大きくかけ離れてしまった〔@本守護神〕と〔心(四魂)〕をつなぐ暫定的な活動力(心理的な作用)だろう。
こうは考えられないだろうか。
人間の魂はこれまで幾度となく輪廻を繰り返したといわれている。
もし100回この《実数の世界(物質界)》で肉体を得たとすれば、一回目はいわゆる黄金時代で、〔心〕と〔@本守護神〕は直結し、心の躍動がおのずと言葉になって現れていただろう。
ところが、《実数の世界(物質界)》で肉体という〈形〉を得るたびに、人間の〈想い〉が創り出す独自の想念界は、コピーを繰り返すと少しずつ歪み出すように、少しずつ〔@本守護神〕そのものの活動力とはかけ離れだす。
つまり、もっとも純粋な1の想念から、2、3、4・・・・100と順次ゆがんだものとなってゆく。
〔A正守護神〕とは、その百ある想念界で、あらゆる意味で自分自身の分身・分霊である。
この〔A正守護神〕が〔心〕を善導するということは、〔心〕がもっとも近い生の想念界(99番目)の記憶をもとに〔@本守護神〕に遡ろうとする活動力であって、99番目の想念界を克服すれば、次に98回目の想念界に移る。これをもって〔A正守護神(守護霊)〕が代わったなどと表現する。
しかし、99番目の想念界に戻るか、101回目の想念界を創るか、それは人間次第である。
ユングは、『自己(本守護神)』と『自我(意識の中核)』との媒介者として、アニマやアニムスといった異性の元型を想定しているが、これが〔A正守護神〕といわれる心の働きであり、この媒介者に関しては、述べなければならないが、その前に、〔心〕と〔@本守護神〕が大きく離れてしまう要因である〔B副守護神〕について触れなければならないだろう」


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「〔B副守護神〕とは、いわば《虚数の世界(神霊界)》における負(−)の〈影のエネルギー〉である。
人間は個体振動数という、それぞれ個性的な波を持っているが、この波に対して〔B副守護神〕と表現される極陰性の波が干渉するのである。
物理学でいう干渉とは、たとえば、Aという波に対して、Bという波が重なってくると、A波は干渉を受け、B波と合成されたC波という、複雑な波形をもつ干渉波に変わってしまう。
これがいわゆる憑依現象であって、決して狐が憑いているというわけではない。
…………(中略)…………
たとえB波の干渉を受けても、A波という各自の個体振動数は独立しており(波の独立性)、B波の影響がなくなれば、またもとに復する。
問題は、いつまでもその影響を受け続けることにある」


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王仁三郎は、3つの守護神について次のように説明している。

「吾々がこの地上に降つたのは、本守護神が降つて来たのである。
が、この物質界に生れて、衣食佳の為に色々と心を曇らし、色々と劃策をするが為に、正守護神又は副守護神といふものが出来て来たのであります。
副守護神といふのは実際は、悪霊といふ事であります。
もとよりの悪霊ではないが、人間の心が物質によつて曇らされて、悪霊になつて居るのである。けれども総ての事を見直し、宣り直す教であるから、副守護神と云つて居るのであるが、実際は副守護神といふのは悪霊の意であります。
折角のよい霊が悪くなつたのである。
けれども人間の心に悪霊が居ると云うと具合が悪いから、副守が居ると云つただけであります。
亦た正守護神と云ふのに、公憑私憑の二大別があります。
公憑とは甲の肉体にも乙にも丙にも丁にも臨機応変的に憑依する神霊であり、私憑とは或る種の因縁を有する身魂、一人に限つて憑依する神霊を指すので在ります。
正守護神なるものは要するに、他より来つて人の肉体を機関として、神界の経綸を助け且つ又本守護神の天職を輔弼する所の、善良なる神霊であります。
而して公憑は神懸と言ひ私憑は神憑と言ふのであります」


『日月神示』には次のように説明されている。

「神的自分が本守護神であり、霊的自分が正守護神である。
また、幽界的自分が副守護神である。本守護神は大神の歓喜である」

「守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、段々変わるのであるぞ」


では、幽界的自分である「副守護神」とは何なのか。
生長の家の創始者・谷口雅治は、このように述べている。

「副守護神が改心し、先天的憑依なる正しき守護神が吾々の肉体を守護するようになると肉体の精神状態がすっかり浄化され、嗜好も一層人間らしくなります」

神典アナリストの中矢伸一氏は、次のように解説している。

「副守護神は物欲や性欲、権力欲、闘争欲などを支配する。
このため、副守護神が活発に働いている人が多い社会は、物質的な生産活動や経済活動が促進される。
そういう社会的傾向が主流になると、文明は著しい発達を見ることになる。
しかしその反面、霊的(精神的)な向上への道は閉ざされ、高級なる霊界からの直接的な流れである正流が受けられないため、いつまでたっても正守護神に復帰できず、ましてや本守護神にまで位が上がることなどは不可能となる。
副守護神により生み出された文明は、短期的には目覚しい発展を見せるが、やがて行き詰まり、悲惨な末路を辿ることになる」

(「真正日本神道」KKベストセラーズ)

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シルバーレイの開発者である若山敏弘氏は、『邪気よさらば』の中で次のように述べている。

「20世紀は人々が頑張ることで、交感神経を消耗させることと引き換えに文明・文化・技術・テクノロジーが大きな飛躍を遂げたといえる」

つまり、副守護神は直接的には俗にいう「憑依霊」だが、その本質は、左脳や交感神経を支配する体主霊従のエネルギーだと言える。
また、その物質文明は、肉食文化の西欧から発展していった。
実際、副守護神が改心すると、肉食に嫌悪感を感じて食べられなくなる。

問題は、憑依霊によっても人格(性格)が決定される事になり、それ故に「副守護神は幽界的自分」だということができる。
この「副守護神」を改心させる方法として、神道には「鎮魂帰神法」という修法があり、同時に肉食を避けて水を沢山飲むなどによる肉体の潔斎とを合わせて「身魂磨き」という。
だが、自分の想念に変化がなければ、再び副守護神が悪霊化して人格を支配される事になる。

そこで罪(積み)穢れを「祓い給へ、浄め給へ」と日々、言霊による潔斎をするのだが、内観ではそれを熾烈な自己凝視によって浄化していくのである。
ネオデジタル内観は簡単だが、それなりの決意と根気は必要である。
だからこそ、アイテムを活用して内観をスムーズに進めていけるようにするのがベストなのだ。
「シルバーレイ」は邪気を祓い、遺伝子の悪い情報を消去し、自律神経を調整してくれる、内観の心強い味方である。

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尚、「一霊四魂=ヤハウェ」と言ったが、一霊四魂の本質的な考え方が「3つの守護神」であるなら、それこそがキリスト教でいう「御父」「御子」「聖霊」の三位一体であろう。
それぞれ対応させると、次のような等式となる。

「御父=本守護神」「御子=正守護神」「聖霊=副守護神」

聖霊が副守護神(悪霊)だというと疑問に思うかもしれないが、副守護神は本来は「悪霊」ではない。
そして、「聖霊」はカバラの「生命の樹」の竣厳の柱に対応し、その地下には意識進化に逆行する「死の樹」が伸びている。
つまり、悪霊化した副守護神は「死の樹」に落ちた聖霊なのだ。

これ以上書くと本題から外れるので、難しく考えることはないが、要は3つの守護神は「人間の心の働き」であり、意識進化の反作用として「副守護神」も存在する。

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釈迦やイエスは、瞑想中にサタンの誘惑に打ち勝った。
サタンとは、欲望などの自我であり、副守護神だと言っても良い。
もっと単純に、アルファ波、そしてシータ波になることで無我の境地となり、瞑想の邪魔になる雑念(ベータ波状態)が消えたとも言える。
だが、釈迦は最終的に「サタンも自分の一部」だとして受け入れた。
イエスも「汝の敵を愛せよ」と言ったが、外敵は己の自我の写し鏡であり、敵を愛するこという事の本質的な意味も、釈迦の悟りと同じものなのだ。

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話が飛躍してまとまらなかったが、要は、熾烈な自己凝視・現実直視をすることから内観は始まるのである。
posted by アンリ・クリスチャン at 07:57| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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