2010年05月07日

考察やイメージでは「ほんとうの自分」は発見できない

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


ここで、一つの実験をしましょう。
「自分は何者だ」
こう自分に問いかけてください。目を閉じても、開けたままでも結構です。
そう問いかけると、脳が働き始めます。
家族や周りの人との付き合い、いままでの自分の思考や行動、そのときどきの自分の態度や相手の振る舞い・・・。
どんどん時間をさかのぼります。
そうしたことから、自分を浮き上がらせようとするはずです。
しかし、それらは蜃気楼のようなものにすぎません。
不確かな記憶やつねに移ろう感情によって映し出される反応という蜃気楼なのです。

よく脳はタンスにたとえられます。
いままでの記憶や感情をまさぐる態度は、脳のタンスの引き出しを開ける行為です。
開けた引き出しの中を覗き、そこに自分を発見しようとしているわけです。
過去の自分の反応のモザイクから自分を浮き彫りにしようとしても、「ほんとうの自分自身」は出てきません。
なぜなら、反応はつねに一定不変のものではないからです。
そのときの自分の環境や置かれている状況など、ほんのわずかなことで反応は大きく違ってしまいます。

いってみれば、イメージから「ほんとうの自分」を描こうとしても、イメージに真実を現わすそのような力はないということです。
しかも人間というものは、「自分かわいさ」という心情を持ちます。
自分にとって都合のいいようにイメージしているものです。
イメージは思考の産物です。
思考は感情をともない、感情はイメージを膨らませ、つまり、思考の世界から一歩も出られなかったことになるのです。
それは「築く」範疇の行為であり、「気づき」からまったくかけ離れたものです。
考察に始まれば考察に終わります。
内観はじつは簡単なことなのですが、その簡単な作業を邪魔するものが思考(感情)であり、先入観や価値観だと知らなければなりません。
その障害を克服する手だてが、熾烈な自己凝視による現実直視の観察なのです。

----------------------------------------------------------------
d0063814_1164387.jpg

考察に始まれば考察に終わるとは、まさに自我で自我を振り返っている状態である。
山本健二氏は、「内観を邪魔するものが思考(感情)であり、先入観や価値観だと知らなければなりません」と述べているが、前項の解説で、私は次のように述べた。
『自我こそが瞑想時に現れる「悪魔」であり、仏教用語で「邪魔」という』

「悪魔=思考(感情)=先入観や価値観=邪魔=自我」

山本氏は「その障害を克服する手だてが、熾烈な自己凝視による現実直視の観察」だというが、それが出来ずに脱落する人が24.1%もいるという事である。
そこで私が強調しているのが、肥田式腹式呼吸法によって脳波をシータ波にする事で、それによって自我が消滅する事を述べてきた。

また、第1章の『「真の気づき」の状態について』の解説で、私は次のように書いておいた。

――リラックスした深い意識状態の時に胸に手を当てて、胸を意識して心の中で問いかけるのである。
「私は誰ですか」と……。
答えは外部からもたらされるものではなく、最初からあなたの内に存在するのである。
私は真理を説いているが、あなたにとっては真理ではない。
何故なら、本当の心理は自分の内部にしか存在しないからである。
答えは自分の中にあるが、それを得る為には「素直」な気持ち、裸の心になる必要がある――


それによってイメージの自分を描いた人もいるかも知れないが、リラックスした深い意識状態、即ちシータ波の状態で「自分は何者か」と問いかけた事は潜在意識に入っており、水面下では確実に「真の自己発見」への道を進んでいるのである。
posted by アンリ・クリスチャン at 01:44| Comment(0) | 第2章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。