2010年04月05日

「真の気づき」の状態について

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


その「気づき」の状態ですが、山田さんと石川さんと佐藤さんの「気づき」が違うということはありません。
「真の気づき」というものは、「私は意識だ」という認識になります。
と同時に、肉体を持った自分自身という存在、そしていままで体験してきたいろいろな事象を含めた自分の個性というものを確立します。
個性とは、生きているこの空間の中での自分の役割というか、自分のポジションです。
個性の確立とは、そのポジションが鮮明になるということです。

それが神とか仏、あるいは歴史上の人物であるなどということも絶対にありません。
「私の前世はイエスであった」とか「私は仏陀の生まれ変わりだ」というような人がいますが、そのように思い込んでいる人は世界に数え切れないほどいます。
だから、その人たちの言葉を信じて特定の組織に入ってしまうなどということは愚かなことです。

私たちが存在するこの宇宙空間(地球)では、調和することがもっとも重要なことです。
調和とはそれぞれの役割分担があり、それを行うことから実現するものです。
これは人間だけでなく、すべての存在を含みます。
たとえば、植物には赤い花の咲くものもあれば、黄色い花、青い花の咲くものがあります。
また、花をつけない植物もあります。そしてバランスがとれているのです。

雑木林にはいろいろな植物があり、いろいろな昆虫や微生物がいて調和しています。
雑木林の中に入れば、誰でも心が和み気持ちが良くなります。
それは、あなたが雑木林の調和と同調するからです。
あなたもまた、雑木林の調和を構成する一因だからです。

宗教やいろいろな精神世界の教えの中には、「悟り」とか、「解脱」とか、「空」とか、「宇宙即我」とかの表現がたくさん出てきます。
これは、どこかむつかしそうで、それでいて何となく魅力のある表現のようです。
しかし、それらはすべて私たちの頭脳の領域を出ないものです。
思考の中から発生してきたものです。
考え抜いて枝葉を整え、ある形を持たせたものにすぎません。
「真の気づき」は、思考の中からは生まれてきません。
いくら頭をひねっても、つくり出せるものではないのです。

自分の思考を介さずに現実を直視し、いま何をすべきかが理解でき、そして調和の世界実現に向かって行動すること。
それが何よりのよろこびとなる「真の気づき」こそ、魅力のあるものではないでしょうか。
その「真の気づき」の最短コースが、この本で紹介するネオデジタル内観なのです。

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真の気づきは、「私は意識だ」という認識だという。
私は腹式呼吸で初めて思考が停止した時に、その感覚を体験する事が出来た。
日本初のヨーガ行者である中村天風は、ヒマラヤで修業している時、聖者カリアッパに次のように問い詰められたという。

「今日は頭が痛いので休ませて頂きます」
「頭が痛いのは分かったが、何故お前は休むのか」
「頭が痛いからです」
「お前は頭なのか」
「私は頭ではありません」
「では、お前は何だ」
「私は……」
「よく考えて来い」


数日後、天風は自分が何かを悟った。
「私は心です」
「では、心とは何だ」
「よく分かりません……」
「お前はよく分からない存在なのか」
「…………。」


天風が心について考え続けていると、枯木の枝に葉が吹き始めている事に気が付いた。
辺りを見回すと山全体が春の生命の息吹に包まれていて、それを見た天風は悟った。
「この大自然の精気の中には、人間の生命と同じものが遍在している。
我は気なり、活力なり」


天風は、大自然に気(心・意識)が遍満している事を悟ったのである。
即ち、森羅万象を司るエネルギー(神)と、人間の心に活力を与えている存在は同じものだと感じたのだ。

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知花敏彦氏もヒマラヤで修業して悟りを開いた覚者だが、講話特集の小冊子『意識とは何か』の中に次のように記されている。

――あなた方は「意識」という言葉をよく使います。
ですが、その意識というものが何であるかが解らない人が多いのです。
では、意識とは、一体何を意味するのでしょうか。
あなた方には意識があります。
しかし、自分が意識しておりながら、その意識に対する理解が、非常に欠けているのではないでしょうか。
例えば、表面意識だとか、内面意識だとか、神意識だとか、或いは様々な肉体意識だとか、自己的意識だとか、そのように言葉では言いますが、その意識という意味が、本当に解っているだろうかということです。
その意識という、本当の意味を知らなければならないのです。
それが解らなければ、あなた方は何も知ったことにはならないのです。
このままでは、あなた方は自分の一生を、無意味な人生で終わらせてしまうことになるのです――


――意識とは何か……。そして、本物の自分とは……。
それを知ることは、本当の自分を、真の我を知ることになります。
それを自らに問い求めることです。それは適切な問いであるからです。
そして、その意識という、本当の意味を知ることが出来て、幸せと喜びと平安との中に、あなた方が久遠に留まることが出来ますようにと、それを成し得られますことを願わずにはおれません――


――意識は宇宙に幾つあると思いますか。
唯一無二の意識と言って、一なる宇宙意識しか存在しないのです。
それを人間が勝手に、個人意識とか、肉体意識とか、自我意識とか、そういうものがあるように、錯覚してしまっているのです――


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山田さんと石川さんと佐藤さんの「気づき」が違うということがないように、天風と知花氏の悟りも同一のものである。
理論的な事は「意識=素粒子」で述べた通り、肉体や物質を構成しているのは素粒子だが、それは常に循環して波(波動)に還元している。
宇宙は素粒子の集合体で、換言すれば意識そのもの、波動そのものであり、それが人間の意識でもあるのだが、決して「固有」のものではないという事である。

私は幼少の頃から常に過去を振り返り、「自分は一体何者なのか?」「何の目的で生まれてきたのか?」という事を追究してきた。
そして天人合一を体験した時に、「私は誰でもない」「私は個人にして宇宙全体(神)である」という境地に至った。
「個人にして」というのは、宇宙との合一を体感しつつ、今まで通りの自分の意識が存在していたからである。

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不思議研究所の森田健氏も、中国での仙人修業で6次元世界を体験し、「個を保ったまま天とつながり、自由の極みへ」と表現している。
個を保ったままだが、いわゆる自我が消滅して全体と融合している為、「私は特定の誰でもない」という認識があるのだ。

森田健氏はフォーカス27で、パルテノン神殿のような施設の地下の階段を降りてドアをノックした。
すると、ドアが「あなたは誰ですか?」と聞いてきて、名前やプロフィールを言ったが、ドアは認めてくれなかったという。
そして、ヒントを貰って何度目かの挑戦で「私は誰でもありません」と答えると、ドアが開いて光に満ち溢れた世界に進めたという。

もりけん氏は次のように述べている。

「私は誰でもありません」という日本語を英語に直すと「I am not anyone」となります。
これをさらに日本語に直すと「私は、他の誰でもない、私です」となります。
つまり私は他の誰でもないというもう一つの意味は、私は宇宙でたった一人の、かけがえのない私であるという意味にもなります。
私やあなたは、全宇宙に匹敵する価値を持った存在なのです。
さて、「私は誰でもありません」という日本語は、もう一つの英語の表現に直すことができます。
「I am nobody」です。noとbodyを切り離せば「私は肉体のない存在です」となります。


「肉体のない存在=意識」という事である。

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1992年、彗星探索家の木内鶴彦氏が、世界中の天文台が探していたスウィフト・タットル彗星を発見した。
この彗星は2126年8月14日、日本時間10時35分頃にインド洋あたりに落下すると予測され、スティーブン・スピルバーグに依頼して映画『ディープ・インパクト』が完成した。

それはともかく、木内氏は臨死体験で未来の世界を見てきている。
それは、荒れ果てた廃墟と緑豊かな自然が重なっているというもので、木内氏は、人類がどのような生き方を選択するかによって、どちらかの未来になる事を暗示していると解釈し、地球環境を整える活動を精力的に展開している。
興味深い事に、木内氏は臨死体験の際、天人合一(宇宙即我)の境地を体験している。

『人類で後にも先にもこれを体験した人間は私1人ではないかと思っています。
というのは、この世を含め総てのモトというべき「全体、一つ」の意識と、木内鶴彦という「個」の意識を同時に体験したからです。
2つの意識を持つという事はちょっとないことですよね?
自分と自分以外の意識が、2ついっぺんにある状態。
ちょっと不思議な体験ですね。
「全体、一つ」とは、宇宙を創ったおおもとの意識で、総ての自分が介在しているような、それ全体が宇宙を包むエネルギーそのもののようなもの。
まさに意識そのもの、という感じです。
そして、真っ暗な総てだったんです。
木内鶴彦という個でありながら、「全体、一つ」の意識もあるという状態は有り得ない状態です。
なぜなら「全体、一つ」の意識はとっても大きくて、「個」の意識はすぐに吸収されてまた「一つ」に戻ろうとするからです。
だから木内鶴彦という「個」の意識を保つのはとても大変でした。
それでも私は自分でなくなってしまうのに抵抗を感じたので、個であり続けようとしたら、「個」と「全体、一つ」を同時に体験しているような感じで進んでいきました』


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木内氏と同様の体験は、少なくとも森田健氏と私が体験しているし、脳波がシータ波になれば誰にでも体験可能な事である。
長々と説明してきたが、それらを自らの心で悟らなければ全く意味がない。

「意識とは何か……本物の自分とは何か……」
眠りに就く前に、本当の自分に問い掛ける習慣をつけると、その真剣さに応じた回答が必ず得られるはずだ。
私は北を頭にして胸で手を組み、般若心経の手ぬぐいを顔に掛けて寝ている。
まるで死人だが、それには理由がある。

【北枕と「蘇生の森・枕」と膝立て睡眠法】
http://japan666.seesaa.net/article/123108573.html

般若心経は「色即是空」、目に見える物と見えない物が同じ素粒子(波動)であるという真理を説いたお経である。
その悟りは、「本当の自分」を悟ることと全く同じである。
般若心経が宗派を問わずに唱えられている理由は、それだけ重要なお経だという事である。
右脳開発で有名な七田眞氏によると、般若心経を唱えると様々な素晴らしい効果があるという。

天風は「我は気なり、活力なり」と言っているが、気は骨格が正常でないとスムーズに流れない。
地球の磁力線も同じであり、骨格の矯正とも無関係とは言えない。
また、活力(力)は「血から」とアーリオーンは教えており、血液を濁らせない為に生水を飲む事を勧めている。

【神霊学的見地から見た「水」の重要性】
http://japan666.seesaa.net/article/145736076.html

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また、私は頭の上に不思議研究所の「六次元の図」を置いて寝ている。
私は図形の研究もしているが、この影響も無関係ではないかも知れない。
http://www.fushigikenkyujo.com/bloGoods/cat4/cat11/post_80.asp

また、知花敏彦氏を師とする波動研究家の岡田達雄氏は、3色の光を頭頂部で交差するように放射し、心身のバランスをとって活性化させるランプを開発している。
六次元の図は8種類に色が変化するので、それと同じような効果もあるかも知れない。

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尚、意識の正体が素粒子であれば、細胞も意識の集合体である。
それはバクスターの実験で、植物にも意識が存在する事が確認されている。
また、当然ながら人体の各臓器にも意識があり、臓器移植の手術を受けた人が、その臓器の持ち主だった人の記憶や食の好みを受け継ぐという現象がある。

で、心臓は文字通り、「心」の中心的な所在地ではないかと思われる。
事実、心の状態と心臓の動きは連動しており、喜怒哀楽も頭脳の直接的な働きではなく、胸で感じるものである。
「ドキドキする」「ワクワクする」「胸がジーンとする」「胸が痛む」という表現も、心臓と心の関係を端的に表している。
ハートマークが心臓である通り、英語でも心臓と心は共に「ハート」である。

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私が小学校時代に傾倒していた霊能者の隈本確氏は、みぞおちの約5センチ上の箇所に魂が宿っていると主張していた。
心臓は左胸にあると思っている人が多いが、実際には胸のほぼ中心に位置している。
隈本確氏の神霊術は、胸の想念界(大霊界・大宇宙)を意識して行うのだが、私は胸を意識して瞑想してきたのが良かったのかも知れない。
知花敏彦氏も「神は中心に宿る原理」を理論的に解説しており、心や魂は胸の位置に存在すると主張している。

肥田式腹式呼吸法で思考を停止させる理由は、左脳を黙らせて雑念を消した時に、宇宙意識に通じる道が開けるからである。
尚、瞬時に骨格を矯正し、脳に酸素を供給し、宇宙意識に繋がるというマウスピース「快快」を、私はお薦めしている。

【宇宙意識と繋がる奇跡の「整体名人・快快」】
http://japan666.seesaa.net/article/125274452.html

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リラックスした深い意識状態の時に胸に手を当てて、胸を意識して心の中で問いかけるのである。
「私は誰ですか」と……。
答えは外部からもたらされるものではなく、最初からあなたの内に存在するのである。
私は真理を説いているが、あなたにとっては真理ではない。
何故なら、本当の心理は自分の内部にしか存在しないからである。
答えは自分の中にあるが、それを得る為には「素直」な気持ち、裸の心になる必要がある。

明日、死ぬとしたら何が大切か……。
自分が何かを知ることが何よりも大切である。
あなたは誰ですか?
posted by アンリ・クリスチャン at 02:36| Comment(5) | 第1章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
加筆しました。
Posted by アンリ at 2010年04月07日 02:09
木内鶴彦氏と岡田達雄氏に関する記事を追記しました。
私もスピルバーグに映画制作依頼をしたいが、やり方が分からない・・・
Posted by アンリ at 2010年04月08日 06:44
う〜ん・・・・読めば読むほど、天人合一への道のりが至難の業だと思えてきました・・・・
もっとも私の興味の対象は天人合一を果たした閣下だけなのですが、やっぱり天人合一は男の条件なのかもしれませんね。
女の天人合一って、あるのですか?
天人合一・・・・天丼合一・・・・てんぷらとご飯・・・・ごめんなさい・・・・
Posted by 木花咲夜 at 2010年04月08日 16:12
天人合一に性別は関係ないです〜^^
天丼なつかしいです・・・
Posted by at 2010年04月09日 09:17
「天神合一」とか「悟りの境地」とか「私は何者でもありません」、とかいうのはどうも難しく考えすぎているのではないでしょうか?

たとえば、個人の意識と宇宙意識の関係は、水道の蛇口から流れる水と水源地のダムとの関係を考えるとわかりやすいと思います。

今現在では、「蛇口をひねれば水が出るのが当たり前」という状況で我々は暮らしていますが、それは、その蛇口まで「水」が供給されているからですね。

もし、蛇口に水が供給されていなければ、蛇口から出てくるのは「空気」でしょうから。

では、その水はどこから来るかというと「ダムなどの水源地」になるわけです。

これを、「意識と宇宙意識」との関係に置き換えると、「蛇口から出ている水が個人の意識(自分という認識)であり、水源地が宇宙意識である」こうなるでしょう。

これは、「水」を「波動」や「粒子」に置き換えても成立すると思います。

また、「一は全全は一」という言葉がありますが、これも、水道で説明ができます。

つまり、「水が供給される水源地は一つでも、水が出てくる蛇口は無数にある」こういうことです。

言葉を変えて言うと、「Aさんがトイレで流した水と、同じ町に住んでいるBさんがカップラーメンを食べるために沸かした水は、同じ水源地から流れてきたものである」。こうなります。

そして、水の出口である蛇口はで同じ町内だけでも、それこそ「無数」にあるでしょう。

ですが、その無数の蛇口から出てくる水は、それが同じ地域ならば、同じ水源地から流れてきている。

つまり、こういうことですね。
これが、「一は全全は一」ということです。

そして、水道の蛇口から出てくる水(粒子、波動)と、水源地の水(万物の根源)が同じ水であることに気が付くこと、これが「天人合一」ということではないでしょうか?

それと、前述の「一は全全は一」ということを考えると、「一神教と多神教は矛盾しない」ことが分かります。

つまり、一神教はいわば水源地のダムを見て、「神は一人だ」と言っているのに対して、多神教は水の出口である蛇口を見て「神は無数にいる」こう言っているのですよ。

ですが、水道が「一は全全は一」という構造を持つ以上、一神教と多神教は矛盾せず両立できるこういう結論が出るはずです。

おそらく、多くの人がこのことに気付くことができれば、宗教戦争も無くなるでしょうが。
Posted by 我無駄無 at 2016年02月11日 16:19
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