2010年04月04日

体験や観念から築き上げたものの中に「真の気づき」はない

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


「気づき」を理解するには、「きずく=築く」との違いを見ればわかります。
「築く」ということは、たとえば家を建築するときのように、時間の経過とともに変化していきます。
整地作業があり、土台がつくられ、柱が立てられ、屋根が乗せられ、壁がつくられていきます。

水道や排水設備が設置され、電気やガスが引き込まれて完成します。
状態を表現すれば、「だんだんと仕上がって」いくことが「築く」ということです。
私たち自身についていえば、生まれてから今までにいろいろな環境で学び、経験を重ね、その歩みの結果として「いま」があるというようなものです。
築いてきたからこそ、現在があるわけです。

しかし、「形あるものはいずれ崩れ去る=諸行無常」のたとえどおり、築いてきたものは不変的なものではありません。
時間とともに形を変えていきます。
私たちの思考もまた、形のあるものです。築かれてきたものです。
時間とともに家は老朽化し、放置すれば朽ち果ててしまいます。
私たちの思考も、築かれたものであるために、時間とともに変化していきます。

一方、「気づく」ということは真実なことであり、刻々と変化してゆく思考の領域にはありません。
「気づき」とは、私たちの思考の領域を超えた体得の世界です。
体得の世界ですから、むつかしく考えようとするあなたの頭脳の働きの外側にあるものです。

気づくということは発見そのもです。
気づきは、築き上げてきたもの、あるいは学んだ結果としてあらわれてきたものではなく、まったく新しいことです。
まったく新しい発見といえるものなのです。

気づきは、どんな権威も、どんな学問も、どんな経験も、いままでに学んできたことも、必死に培ってきたきたことも、すべての体験を元にする先入観も、既成概念もいっさい必要としません。
それらを必要とする「築き」の範疇に、絶対に「気づき」はないのです。

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「自分を持っている」「信念を持っている」というのは美徳だとされているが、悪く言えば「我が強い」「頑固」という事である。
かつて私は、それまでに自分が築き上げてきた「成功」「成功ノウハウ」「人脈」「真理だと思っていたこと」などが、一挙に崩壊した事件があった。
そして、過去の栄光を捨てて、再スタートを余儀なくされた。

私は成功体験から信念(強い我)を持っていたが、今までに築いてきた価値観、先入観、固定観念、既成概念、哲学などを破壊することで、真実を模索し始めた。
そのような色眼鏡を外した「素」の状態で現実を「直視」する事を「素直」という。

私は、あなた方が今まで築いてきた信念を破壊するアドバイザーだが、破壊するのはあくまでもあなた自身である。
それには、かなりの覚悟を必要とする事もあるだろう。
自分が今まで築いてきた「自分」を破壊するのだから。

だが、それは「偽りの自分」であり、「本当の自分」に出会う為には避けて通れない関門なのだ。
それはちょうど、長年研究を続けてきた学者が、自分の仮説に誤りがあっても後には退けない状態に似ている。
アカデミズムも同じで、1つの定説が崩れる事で従来の理論体系が根底から覆される恐れがある為、たとえ事実でも認める事が出来ない事が数多く存在するのである。

例えば、天動説から地動説になり、社会全体を革命的に劇変させる事を「パラダイムシフト」というが、内観とは「自己のパラダイムシフト」に他ならない。
また、自己のパラダイムシフトを起こさない限り、世の中のパラダイムシフトが起きることもないのである。
パラダイムシフトは1人ひとりの心の問題だという事を忘れてはならない。

世の中には間違った常識や概念が氾濫し、人々はそれに洗脳されて生きている。
あなたは今まで社会に洗脳され、自分で自分を洗脳して生きてきた。
大なり小なり、それは否定できない事実である。
こんな偉そうな事を書いている私自身、まだまだ自分で気付いていない価値観や先入観があると思っている。

しかし、恐らく人よりも「素直」であると思っている。
素直とは、何でも信じることではない。
柔軟性な思考を持ち、中道であることだ。
自分の物差しで情報を判断しない事である。
否定も肯定もせず、一度受け止めてから「正見」で判断するという事だ。
従って、「素直」な人は、人にも現象にも自分にも騙されないのである。

前にも書いたが、自らを破壊した私の文章には、あなたの洗脳を解く効果がある。
その私の言葉を理解できるのは、あなたの「素直さ」である。
決して、私の話を鵜呑みにしろという事ではない。
重要な事は、「素直」になるということである。

私は人々を惑わそうとしているのではない。
素直というのは、価値観や先入観という色眼鏡をを外した状態で吟味するという事である。
価値観や先入観の強い人は、頭ごなしに否定する傾向があるので騙されにくいと思われる事が多く、本人も自分が騙されない自信を持っている人が多い。
ところが、自分の価値観や先入観と一致する事には騙されやすいという特徴を持っている。

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釈迦は「疑念を持つな」と説いた一方で、「たとえ私の言葉でも疑ってかかれ」と言った。
文字通りに解釈すれば矛盾しているが、これは中道で素直であれという事である。

『日月神示』にも同様の事が記されている。

「洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、知恵や学に頼らずに、
神の申す事一つも疑わず、生まれ赤子のうぶ心になりて、神の道守る事ぞ」
「心して、怪しいと思うことは、たとえ神の言葉であっても一応は考えよ。
神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ」


私の話は、一般常識では受け入れられない非常識な話である。
そのような話で人々を洗脳できるはずがない。
私は人々の洗脳を徐々に解いていく事を目的としている。
自分が洗脳されているという事は、誰もが否定するかも知れないが、これは絶対的なものだと断言する。
もし、私の話に洗脳されたとしたら、それは自己責任である。
山本健二氏や私の言葉であっても、十分に納得してから実践して頂きたい。

重要な事なので、もう一度言っておく。
今までに築いてきた価値観、先入観、固定観念、既成概念、哲学などを破壊した状態で、物事を正しく観ることを「素直」という。
それは色眼鏡を外した「素」の状態で、柔軟性があって中道である状態を指す。

今、これを真剣に読んでくれている読者は、「もうすぐ本当の自分に出会える」という期待感や喜びの感情を持っているかも知れない。
だが、それこそ既に先入観の奴隷になっている証拠である。
「本当の自分なんて本当に存在するのか?」「本当に自分にも真の自己発見が出来るのだろうか?」、そんな観念を持っている人も同様である。
期待感や疑念を持つあなたに対して、「本当のあなた」は苦笑している事だろう……。
posted by アンリ・クリスチャン at 19:33| Comment(0) | 第1章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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