2010年04月03日

「気づき」はむつかしくない

『絶対変革』より↓↓↓↓↓


気づく人は一日あれば気づく

先日のように「気づき」は簡単です。
人間であれば誰でも内面に「真実の自分」を持っていて、それを見つけるだけですから「気づき」は実に簡単なことです。
「気づきは簡単、気づく人は一日あれば気づく」と、私は常々言っていますが、「気づき」をむつかしくしているのは、よけいな知識です。
「こうしなければばらない」とか「それは間違っている」などといった考えは誰にでもあるでしょう。
そうした考えは、先入観や既成概念による価値観です。

先入観や既成の価値観によって、多くの人は自分自身を縛りつけているのです。
その中には、苦労して培った体験があるかも知れません。
自信に満ちたものもあるでしょう。
しかし、それらが自分を縛る固執した考え、固定観念であるものが多い者です。

また、多くの人は体験に弱い者です。
体験談は人々の欲望に密着しやすいために説得力を持っています。
たとえば、「私はこうして救われました」などという言葉がよく宗教などで使われますが、これはかなりの説得力をもつ言葉です。
感情の中に入り込み、多くの人々の感情を納得させてしまう言葉です。

感情が膨らむと、ものごとが真実かどうかはどうでもよくなってしまいます。
これは大変危険なことで、混乱の原因になるということは誰でも理解できると思います。
なにも他人の体験に弱いだけではありません。
人は自分の体験にも弱いのです。
自分の体験によって先入観をつくり、特別な価値観を持ってしまいます。

ここで誤解しないでください。
「体験が悪い」といっているわけではありません。
「体験を重ねることで新たな観念ができてしまうことに問題がある」と言っているのです。
ここがポイントです。
体験を重ね、自我を膨らませてはかない人生にするのか。
あるいは、その体験を超えて、自然体で調和とやすらぎの生活を実現するのか。
それを選択するのはあなた自身であり、あなたの自由です。

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人は生まれてから様々な体験を積み重ねて生きている。
この「積み重ね」が「罪」になることもある事を忘れてはいけない。
あらゆる体験は原則として「因果律」に基づいており、楽しいこと嬉しいこと、悲しいことや苦しいこと……いずれの体験も必然である。

この世では「作用反作用」という物理法則が厳然と働いており、意識が素粒子であれば、全ては因果律に基づく現象であることは明白である。
故に、必要があって経験する出来事であり、魂の糧となっているのだ。

問題は、それらの体験を自我がどのように判断するかによって、偏った価値観や固定観念を生み出し、「正見」が出来なくなって自分を見失っていることである。
例えば、失敗や苦労から生まれた価値観や先入観、或いは失敗や苦労から培った成功体験に基づく価値観や先入観……。

また、不幸があって落ち込んでいる時などに、無意識に自分を見つめなおして、何らかの気づきを得たことがある人も多いだろう。
その時、「因果律」を自覚した人も少なくないはずである。
その「気づき」を与えてくれているのは、他ならぬ「本当の自分」なのである。
「本当の自分」は、遠く離れた世界に存在するのではない。
あなたの心の中に「実在」しているのである。

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かつて、イエスは言った。
「私は真理である」
「真理を知らないことが最大の罪である」


イエス・キリストを知らない事が最大の罪とは、一体どういう事なのか。
イエスは自分を「神の子」と名乗り、「世の光」であり「初めであり終わりである」と言った。
つまり、イエスは「永遠の光である神の子」だったのだ。
それは決して、「イエスという人間を崇拝せよ」よいう意味ではない。
永遠の光である神の子の正体は「本当の自分」であり、イエスは釈迦と同じく、その事を悟ったということである。

「全人類キリスト化計画」とは、その意味である。
「全人類ブッダ化計画」でも良いのだが、ブッダは「真理に目覚めた人」、キリストは「救世主」という意味なので、敢えて「全人類キリスト化計画」にした。
私はクリスチャンではないし、むしろ「イエスが唯一の神の子だった」というキリスト教の教義に真っ向から反対する者である。
しかし、決してイエスを否定しているのではない。
あくまでも、人類の意識進化(真の自己発見)を妨害している「キリスト教会」を批判しているのである。

御託を並べるのはこれくらいにして、重要なことを伝えておこう。

イエスは言った。
「私は汝の手や足よりも近くにいる」
「私は常にあなた方のハートをノックしている者である。私に気づきなさい」


これは、本当の自分の「内なる声」に気づきなさいという意味である。
あなたが一方的に「本当の自分」を模索しているのではない。
「本当のあなた」もあなたに気づいてもらうべく、常にあなたに呼びかけているのである。
これは決して比喩などではなく事実なのだが、あなた方がその声を無視しているのである。
それに気づく為には、価値観や先入観という「観念」を破壊しなければならない。

「観念せよ」という言葉がある。
人が罪や死から逃れられない状況に追い詰められた時に、「覚悟しろ」という意味合いで使われる事が多い。
それは仏教用語の「観念」に由来し、「極楽浄土を念じろ」という意味である。
その真意は、「自らの心を観察して臆念せよ」、つまり「内観して懺悔せよ」との意味である。

私は声を大にして言う。
「自己の観念に観念せよ」

もう一度言おう。
「自己の観念に観念せよ」

更にもう一度言おう。
「自己の観念に観念せよ」
posted by アンリ・クリスチャン at 01:52| Comment(8) | 第1章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
破地獄の種子さん、おはようございます。
今日は昼から出勤なので、午前中は家にいます。

ベッドの中で目が醒めて、あなたとの成り行きを考えていたら、タイムリミットは今月末、ずれ込んでも8月8日、離脱は15日だという気がしています。

具体的な作業としては、西行と道元にあなたが同化していくことです。
ふたりの人生を追体験し、ふたりの霊を意識進化に導きます。
幸いあなたは永く彼らの霊廟として機能しているようですので、ご自分が供養主、救い主だという自覚を持てば、あなたの精神的苦しみは大きいかもしれませんが、デジタルに処理は進むと思います。

ヒントは鉄鼠の檻をどう読んだかですね。

では、わたしも読んでみますか・・・
Posted by オクト at 2010年07月23日 07:19
なんだか壮大すぎて、びびってますがやってみます。

この本で印象に残ったのが禅と悟りについて考えたことです。
忘れてる部分も多いので、もう一度読んでみます。
Posted by 破地獄の種子 at 2010年07月23日 09:51
アマゾンからは25日配送予定のようです。

禅と悟りの世界は男の世界ですので、わたしはあなたの声を聴く役目に回るのかもしれません。
三島由紀夫のオムニバス
春の雪
奔馬
豊饒の海
天人五衰

最後の天人五衰の脱稿、昭和45年11月25日に自決

何かの因縁かもしれませんね。

「夢と転生」がテーマ。20歳で死ぬ青年が、次の巻の主人公に生まれ変わっていく。仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬、など様々な東洋の伝統を踏まえて書かれている。ーwikipedia
Posted by オクト at 2010年07月23日 11:19
タイムリミットがあるのですかぁ。(怖)
天人五衰・・・どこかで聞いたか見たような
何の根拠もないのですが、六道の修羅道が頭から離れません。阿修羅王を調べたからなのですが。戦いたくないのですが・・・
Posted by 破地獄の種子 at 2010年07月23日 11:53
改めてこのブログを読むと、自分もまだまだ囚われまくってますね。しかし、なかなか本能をコントロールできません。
Posted by 破地獄の種子 at 2010年07月23日 12:01
ただいま。
あなたに何が起こっているのか、わたしにはわからないのですが・・・相手方は最初から、あなただったのかもしれませんね。

戦いの予感がするのですか?
わたしは2年前、戦いに巻き込まれていました。
わたしは死以上の苦しみに放置されていたので、あなたの状態よりはひどかったと思うのですが、キツイですか?

「本能」って、なんですか?
あなたに今、必要なのは思考の整理であって、あなた自身を内観してはいけない気がします。

ひとりで考えずに、わたしとの対話で進めてください。
Posted by オクト at 2010年07月23日 22:43
だめですね。
ここから出ましょう。
次は・・・どこへ・・・行きますか?
Posted by オクト at 2010年07月23日 23:14
そうですね。混乱してましたかね。
大丈夫です。所詮まだ、考えても思いつきません。
今、本を読み始めてます。去年はきつかったですが、今は平気です。
Posted by 破地獄の種子 at 2010年07月23日 23:15
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