2010年03月30日

宗教や精神世界に自分を求めるのは逃避にすぎない

『絶対変革』より↓


心の内側の不安を解消し、存在の不安に答えを出そうと、宗教や哲学、その他いわゆる精神世界に入っていく人が少なくありません。
宗教や精神世界に身を置くことで、「自分とは何か」の答えを発見しようとするわけです。

しかし、宗教や精神世界に身を置いたところで根源的な不安は解消されません。
たしかに一瞬の不安の解消ややすらぎは得られるかもしれませんが、それはごく限られたある枠内での不安解消であり、心のやすらぎです。
絶対的なやすらぎでもなければ、絶対的な安定でもありません。
その理由は、宗教にしろ精神世界にしろ、つまるところは教義や教理、それにさまざまな知識の積み重ね以外のなにものでもないからです。

そうした知識の積み重ねでわかった「自分自身」とはイメージの世界、空想の世界での「自分自身」にすぎません。
言ってみれば、心(感情)によってつくり出された蜃気楼のようなものです。
私たちが考えたり、感じたりする認識器官はすべて頭脳です。
頭脳の反応によって、私たちは日常生活を送っています。

頭脳は過去から蓄積したデータによって反応します。
頭脳はコンピューターのようなものですから、頭に入っている情報の中から、その情報を必要に応じて引っ張り出して答えを出したり、言葉や文字に表現したりしています。
さらに、行動に移したりもしています。

だから、頭脳に入っていない情報は出てきません。
生まれてから現在に至るまでの間の環境やその環境の中から学ぶことがら、そして教育の過程によって繰り返して教わり、覚え、体験し、経験を積み重ねることによって、頭脳は「私」、「私の考え」、「私のもの」という認識、あるいは表現をしているのです。
「私」、「私の考え」、「私のもの」という認識、あるいは表現・行動は、すべてそうした「過去の産物」です。

今まで「自分自身」と思っているものが「過去の産物」であるように、宗教や精神世界で得られたと思う自分とは、「新しく付け加えられた外側の飾り」にすぎません。
頭脳に新しくインプットされた情報を「ほんとうの自分自身」と錯覚しているわけです。
宗教や精神世界で自分を知ろうとしても、それはムダな行為と言っても過言ではありません。
ますます「ほんとうの自分自身」から遠ざかってしまう逃避行為以外のなにものでもないのですから。


転載終了

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私のニックネームは「アンリ・クリスチャン」で、
ブログ説明には「全人類キリスト化計画」と謳っているが、
私はクリスチャンでもなければ、
特定の宗教宗派や思想に属する者ではない。

宗教書や宗教家の言葉を借りて解説することもあるが、
それは必要な場合に於いてのみ引用しているだけである。

大本の聖師・出口王仁三郎は自らの教団を、
政府に弾圧させる事で「宗教破壊」の型示しをし、
次のように語っている。

「もうこれからは宗教のない世の中になるんや。
しやから神殿なんて必要ない。
石でも積んで拝んどいたらええ」


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肥田式強健術の創始者・肥田春充も悟りに到達し、
『宇宙倫理の書』という宗教的科学書を書き残したが、
宗教は国民を奴隷にするものだとして猛烈に批判した。

人々を盲信させ、自らの無限力を否定するような宗教がはびこっては、
日本は滅びてしまうと言って、新興宗教を徹底的に攻撃したのである。

「私は天下の大無頼漢である。悪党の巨魁である。
けれども天下の生神どもは、私の足元に踏みにじってやる。
悪党に踏みつけられるような神様じゃ、致仕方あるまいな」


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「本当の自分」を知れば宗教は無用の存在となる。

そして、「本当の自分」を知る為には、
宗教の教義は往々にして邪魔になるのだ。

釈迦やイエスは今のような宗教団体を創ったのではなく、
「本当の自分を知る方法」を説いたのである。

『日月神示』には次のように示されている。

「教派や教義に囚われるのは邪の教え、早く卒業してくれよ」

「宗教に生きて、宗教に囚われるでないぞ」

「真の信仰に入ると宗教にとらわれなくなるぞ」


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少なくとも、内観(自己観察)をする時は、
信仰している宗教の教義や、
特定の哲学や思想を切り離さなければならない。

それらに囚われている限り、
モンロー研究所で言うところのフォーカス23(囚われ領域)、
フォーカス24〜26(信念体系領域)から抜け出すことは出来ない。

そして、輪廻転生地点とされるフォーカス27(天国)までが
「迷いの世界」という事になり、
その世界に「本当の自分」は存在しないのである。

冥王星のオコツトという存在は宗教について、
「変換期の知識を人間の意識が歪曲化させたものです」
と述べている。

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だが、本来の宗教というのは読んで字の如く、
「宇宙を示す教え」であり、超科学である。

また、巷の神社仏閣も宗教法人格で、
初詣や冠婚葬祭も宗教行事の一環であり、
「宗教」という言葉そのものに対して、
ネガティブなイメージを持つもの不調和である。

また、宗教活動をしている人々に対して、
嫌悪感を持ったり、批判的になったりすることも、
それ自体が不調和な意識であることに気づく必要がある。
posted by アンリ・クリスチャン at 01:10| Comment(13) | 第1章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
神とイエス・・・この組み合わせは最高の男性を構成します。
カメハメ波の力は神=エホバであり、それがわたしを襲う(裁く)側面は最後の審判に現われたイエスでした。

そしてその完成された男性像は主人となって、わたしは現実を生きながらも、精神世界はエホバ=イエス=主人の三位を崇拝するための神殿、外世界に向けては要塞の中で、世に対しては傍観者のように生きてきたのでした。

もっとも、今回、破地獄の種子さんが現われたように、わたしの信仰の道は常に現実の男性が道案内に現われてくれました。
最初は主人の死と入れ替わるように現われたH氏です。
ですから、アメワカヒコとアジスキタカヒコネに深い意味があるように感じてしまうのです。

Posted by オクト at 2010年07月22日 10:25
どうも、言葉が出てきません。
226の状況だけの説明に留めましょう。

朝、息子を受験会場まで送って、閣下の昼前という指定までは時間があると油断して、散歩で道に迷ってしまい、焦りました。

でも閣下も遅くなり、1時にホテルのロビーにご到着のメールが届きました。
ドキドキしながら下に降りて、きょろきょろしながらエレベーターホールから中央の陶画の方に歩いていくと、突然、空から現われたように左側に閣下が微笑みながら立っていました。
向き直って言葉になったかならないか「ヒサダさん?」と確認すると、うなづかれたように思います。

そのままラウンジに入って、案内された席に座って、閣下はビールとわたしはハーブティを頼みました。
ネットやメールではない現実で、初めてお会いし、話をする方とスムーズな会話もできず、特に何という話はしていません。
前日、湯島聖堂に行って閣下にも神農符のお守りを貰ってきていたので、それを差し上げました。

神農についてはいろんな薬草を自分で試した方と教えてくれました。
閣下は言葉少なく、ずっと微笑まれてて、閣下だと知らなければ、わたしにとって特別な人だという感じはなかったです。

「(湯島聖堂に)一緒に行きます?」と申し上げても、やはり微笑まれたままなので、特に希望されていないのだと思いました。

あの時のわたしの精神状態は今と違うので、言葉にするのは難しいですね。
破地獄の種子さんが「藁にも縋る思い」という言い方をされていましたが、現実の閣下にお会いすることで、何か突破口が開くことだけを待っていました。
Posted by オクト at 2010年07月22日 11:18
神農ですか。これまた興味深い超人(?)ですね。
Posted by 破地獄の種子 at 2010年07月22日 11:36
その後、ホテルのとなりのコンビニに行って、閣下は金麦を3本買ってらっしゃいました。
何かいりますか?と聞いてくれたけど、不食家の閣下に食べているところを見られるのはいやなので、首を振ると、「何もいらない?」と意外そうにされていました。
そのあと、部屋に入っていただきました。

閣下は窓の外の東京ドームを眺めていらっしゃいました。
ちょうど六ぼう星のタイルが見えていたので、それを撮影していたと思います。
その日は女子フィギュアスケート決勝の日だったと思います。
気になってテレビをつけると真央ちゃんの映像が出ましたが、特に閣下が興味を示さないので、チャンネルを変えると坂東英二が出てて、「坂東英二だ」とウケておられたので、「ファンですか?」と尋ねると、ご家族と同居されるまで、ずっとテレビを観ていなかったことを話され、何年ぶりかに見る坂東英二に新鮮な衝撃?を感じられていたようです。

椅子に座っていただいて、テレビをつけっ放しにし、グラスをお出しし、おつぎしたかしなかったか覚えていません。
冷蔵庫のおつまみをどれにされるかお聞きして、テーブルの上にナッツをお出ししました。
ルシフェルではご自分がする方だったから、もてなされるのは感激だみたいなことを話されていました。

そうして4時くらいまで座っていたと思います。
何を話したか、特に印象はありません。
「毎日メールしていますよね?ものすごい数ですよね?ご迷惑じゃないのですか?」と聞いても、微笑まれたまま受け流されています。
窓際に座っていただいたので、閣下の向こうには東京ドームの屋根と曇り空とが見えています。
空腹を感じて、閣下がおつまみを召し上がっているのだから、わたしはクッキーくらい食べてもいいかと思い、テレビボードの下から出して、かじりつくと、その様子をおかしそうに見ている閣下に何かを感じました。

立ったままテレビボードにもたれてクッキーを食べ、レモンティーを飲みながら、向こう側に座ってあのユーチューブの中のように話される閣下を見ていたら、意識が沈んでいき、頭の中にあの言葉が浮かんだのでした。

わたしはこの方のサンダルの紐を解くほどにも値しません
Posted by オクト at 2010年07月22日 12:04
本当に計り知れない方ですよね。
僕も昨日の京都の記事に、深いやさしさと深い厳しさが体を貫いた感じでした。
Posted by 破地獄の種子 at 2010年07月22日 12:34
そして、「なぜ、あなたほどの方が・・・」と口をついて出たような気がします。

閣下にそれが聞こえたのか聞こえていないのか、相変わらずじっと座られたまま、微笑みながら話されています。

「イエス?ですよね・・・」というと、
「はい。イエスです」とそこだけははっきり返されました。
思わずそばに近づこうと踏み出したけど、だからといって抱きつくわけにもいかないので、空いている自分の椅子に仕方なく座ったと思います。

その後も、特に何という盛り上がりもなく、沈黙もなく、23日頃から続いていたシーサーのメンテが復旧した話から、アリスさんやま〜君、織姫さん、ありがとう感謝さんについて印象を申し上げた記憶があります。

息子が帰ってくる時間が近づいてきたので、閣下が帰る用意をされ、空き缶を持って帰ろうとされるので、こちらで処分しますと申し上げると、息子さんに見つかるとまずくないですか?と気遣ってくれましたが、そういう心配はないことを説明しました。

一度、ドアまで行って玄関クローゼットから上着をお取りして着られるように差し出すと、「美容院みたいだ」とかおっしゃっていました。
携帯に撮影してもいいかお聞きして、やはり窓際で撮影したほうがいいので、部屋に引き返し何枚か撮影しているうちに、やっと和んだ気分になり、現実感が出てきました。

そして、また入り口に行き、そこで自然と親愛の抱擁を交わしているうちに、助けてくれた人なのだ、あんな面倒くさい女をずっと受け容れてくれた人なのだ、と思い出し、
「助けてくれたのよね?」というと、黙ってうなづいてくれました。
ラウンジでカメハメ波が突き抜けたあとの胸の痛みについて話しているとき、やはり閣下に逢っても治らないのだと思っていたので、
それを心配されて、心臓に手を当てて何かを念じてくれました。
今までつきあった人の誰も、そんなことをしてくれた人はいなかったので閣下の優しさにジンとしました。

そして部屋を出て、エレベーターホールに向かって歩くとき、「若いですね。」と言ってくれました。
霊的なことに関わる人間は若いという隈本 確の話をされ、わたしは「でも、わたしはかわいいおばあちゃんになりたいのですよ」と申し上げました。
わたしは高所恐怖症なので、エレベーターにものすごく緊張するのですが、外の風景を楽しんでおられるようでした。
そのまま玄関までお見送りして、「また、会いましょう」と別れました。
そのとき閣下が左手を挙げるので、なぜかそれに向かって右手を挙げて、手のひらを合わせました。
なぜ、そうしたのかはわかりませんが、そうされて閣下は少し反応されていました。
Posted by オクト at 2010年07月22日 13:36
以上です。

あなたはわたしが閣下を信頼しているといいながら信頼しきっていないのではないか、とおっしゃいました。
その疑問はもっともなことだと思います。

しかし、あなたご自身さえ、言葉の微妙な意味合いの違いを利用して、人の反応を見るのではないですか?
自分を100とすると、それが相手の50なのか、または120なのか・・・人はそれを注視しながら話をすると思います。

わたしには、閣下は偽装しているように見えるのです。
この世に肉体を伴って生まれるというのは、魂が肉体に偽装されている状態だと考えているのです。

梵字や真言の類ですね。
見る人や感じる人によって、価値は拡散されていきます。
また、その判断も結局はその人に帰るのだけど、観測できないから証明のしようもありません。
信じるものだけに開かれた世界、それが閣下です。

では、音楽のご紹介をお願いします。
わたしにとって音楽とは秘儀です。
Posted by オクト at 2010年07月22日 14:09
確かに反応を見ますね。

音楽は基本的に重いロック好きですが、クラシックやジャズも好きです。ピアノのきれいな曲は好きです。ベートーベンの月光とか
僕にとって音楽とは薬ですかね(笑)
Posted by 破地獄の種子 at 2010年07月22日 14:34
わたしは神からのプレゼントのように人生を楽しみたいので、音楽との出会いもそう感じます。
神が進化しているという破地獄の種子さんの感性は、音楽の進化と連動しているのですか?
わたしは神に人間が進化していくのだと捉えていますが。

聖書の神と人間の関係みたいなものを、バッハと、モーツァルトのレクイエムに感じます。

秦河勝祖とされる能楽には、時間と空間の概念があるとか、秦氏検索のときの雑学ですが、むずかしい話はもう覚えてないです。

破地獄の種子さん・・・このごろわたしに起こっている異変はあなたの霊界の影響だと直観しているのですが・・・・
Posted by オクト at 2010年07月22日 14:51
素人考えですので、もう神が完全であるなら人間の進化なんて必要ないと感じただけです。これもタワゴトですが、人間が想像できる範囲では完全で、及ばない部分では進化しているような・・・神の音を聴けるようになりたいです。

僕にはまだなにも感じないので、僕も自分の霊界を知りたいのです(困)
Posted by 破地獄の種子 at 2010年07月22日 15:05
完全ですか・・・
あなたを地獄に引きずり込んだのはわたしですが、脱出するためには協力関係が必要という感じですね・・・

勝利のために手を組みますか。

あなたの霊界はまず先祖霊界ではないのですか?
やはりご本尊を通してから元の神へ・・・が常道だと思いますが。
開祖はご存知ですか?
Posted by オクト at 2010年07月22日 15:29
すいません。分かりません。
祖父は婿で、祖母も養女ですので、所謂直系ではないのです。
寺は曹洞宗のようですが・・・
Posted by 破地獄の種子 at 2010年07月22日 15:55
初めてこのコメントを読みました^^;

「はい。イエスです」について……。

自分から「私はイエス・キリストである」
なんてことは言いませんが、訊かれれば否定はしません。

ブログ説明には「全人類キリスト化計画」と書いていますが、
自分がキリストだという自覚はあります。

イエスが聖書の中で言っている「わたし」
というのは「太陽神=真我」のことです。

それ故に、イエスは
「わたしは汝の手や足よりも近く(胸)にいる」
と説いています。

従って、「あなたはイエスですか?」と訊かれて否定すれば、
それは嘘つきということになります。

知花敏彦氏もサイハバに、
「あなたはキリストですか?」と質問すると、
「そうです」と回答されたそうです。

くれぐれも、どこかの新興宗教の教祖が
「私は再臨のイエス・キリストである」
と言っているのとは全く異なります(笑)
Posted by アンリ at 2015年04月06日 19:48
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