2010年03月28日

内面の観察から「ほんとうの自分自身」を見つける

『絶対変革』より↓


少なからず、私は混乱しました。
いっさい無縁と思っていた混乱、不安、恐怖などに心が乱されるとは想像もしていなかったからです。
それ以前にも、反省とか禅定とかはおこなっていましたが、このことを契機に徹底的におこなうようになりました。

どんどん自分の内面に入り、いままで自分の勉強したことが少しでも頭をもたげるようなことがあれば、その思考を遮断し、ひたすら自分が何を思い、何を考えようとしているのかということに接近していったのです。

以前からの知識、獲得していた思考パターンや定義、尊敬していた人たちの言葉……。
これらのすべてを排除し、ひたすら自分の内面へ入り込んで観察しました。
いままでに獲得したすべての事柄を細かく切り刻み、決して繋がらないように客観的にひたすら観察しました。

しばらくこの作業を徹底的に続けていると、ある時、まったく思考が働かない状態にポコンと入ってしまいました。
すべての思考が切れた状態を体験したのです。
一切の不安も恐怖もなく、ただ純粋の意識としてそこに融け込んでいる状態……。
いままでの自分というものがなくなり、ただそれそのものとしてある「存在」……。

それまで世間を驚嘆させるような超能力的な体験や、霊的あるいは神秘体験を数え切れないほどしてきましたが、このような体験はまったくはじめてで新鮮なよろこびでした。
幾度となく無思考状態を楽しんだ後、「思考の切れたこの状態は何か」ということをまとめてみました。
そして、それがいままでイメージ体験という疑似体験でしかなかった「空」という状態の真実の姿だと理解したのです。

いささか禅的な表現になりますが、「空」というのは何もない状態ではなく、すべてが存在する状態であり、まず「虚」という世界を理解体得してから「空」という表現が適切な世界だと体得したのです。
物理学や量子力学では統一場とか重力場と表現しているものに似ています。
こうした経験から、独りで自分自身の内面に入り、「ほんとうの自分」を見つける手だてを構築したのです。

「ほんとうの自分」を見つける手だてとは、あらゆる先入観や既成観念を取り外し、自分が今まで生まれてから何を考え、どういうものの見方をしてきたか、どういう考えに固執しているかをただひたすら洗い出すことです。
その方法だけが、「ほんとうの自分」を発見できるプロセスであり、「ほんとうの自分自身」に気づく唯一の道なのです。


転載終了

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山本健二氏は、思考が停止して、
純粋な意識を体験して空を悟ったという。

実は、これと同様の体験は様々な段階で起こる。

まず、瞑想中や体外離脱の前に体験できる
「死者の意識」と呼ばれる状態である。

その時も思考が停止して、
純粋な意識が存在しているだけの状態である。

それは肉体意識(自我)ではなく、
明らかに普段の自分とは異なるが純粋な意識だが、
魂(真我)の意識ではなく幽体の意識である。

その思考停止の時の意識状態は、
モンロー研究所が定義する「フォーカス10〜15」である。

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【フォーカス10】

体は眠っているが意識は明らかな状態。

【フォーカス12】

意識が拡大した状態で、
ハイヤーセルフとのコンタクトも可能になり、
それによって意識進化が加速するが、
内観と自問自答で可能となる。

【フォーカス15】

無時間の状態で、過去世にもアクセス可能となる。

釈迦は「第三禅定」で幾多の過去世を思い出したが、
フォーカス10を「第一禅定」、フォーカス12を「第二禅定」、
フォーカス15を「第三禅定」とするなら見事に一致している。

私も無時間の意識状態の時に、
過去世らしきビジョンを何度も見ているが、
本当に過去世なのかどうかは分からない。

また、輪廻は投影の世界での現象なので、
過去世の記憶も一種の幻想だと言える。

【フォーカス21】

この世とあの世の境界領域で、
スウェデンボルグがいう「精霊界」、
『日月神示』でいう「中界」である。

仏教でいう「三途の川」がある所だが、
三途の川というのはあくまでも比喩であり、
実際に三途の川を見るかどうかは自分の観念によると思われる。

【フォーカス22】

これは夢を見ている時の意識状態だが、
夢は霊界体験の記憶の断片だと言われている通りである。

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尚、禅定には九段階まであるとされている。

・第一禅定までには、欲望が消滅している。
・第二禅定までには、考察が消滅している。
・第三禅定までには、喜悦が消滅している。
・第四禅定までには、呼吸が消滅している。
・第五禅定は、形状の世界が消滅している。
・第六禅定は、空間の概念が消滅している。
・第七禅定は、識別の概念が消滅している。
・第八禅定は、虚空の概念が消滅している。
・第九禅定は、一切の概念が消滅している。


あくまでも私の見解だが、
フォーカス15が「第三〜第九禅定」の境地だと思われる。

それを超えると「霊界体験」となってしまうからである。

釈迦の過去世記憶再生の体験と重ねると、
フォーカス15が「第三禅定」であることは間違いないが、
それを細分化すると第三〜第九禅定になるのだろう。

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私が「幽体意識の覚醒」と呼んでいるのは、
このフォーカス10〜15のことで、
死者の幽体が体外に離脱するまでの意識状態である。

もちろん、体外離脱をしても幽体の意識だが、
肉体から意識が抜けているので、
「思考が停止した純粋な意識」という体験とは異なる。

だが、肉体よりも幽体の方が「本当の自分」なので、
幽体離脱(体外離脱)も至高体験には違いない。

また、それによって高次元の旅をすることは、
意識の拡大と進化に大きく役立つが、
ハイパーネオデジタル内観で自然に起こるようになる。

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また、上記に記したレベルを超えた、
6次元の天人合一(宇宙即我)の体験も、
思考停止でただの純粋な意識が、
宇宙空間と融合した至高体験だった。

だが、山本健二氏が体験したのは、
瞑想中や体外離脱による体験ではなく、
普通に起きている状態での神秘体験である。

道教に伝わる覚醒の為の秘術
「クンルンネイゴン」を極めたKan.氏も、
山本健二氏と同様の体験をしている。

「私自身は劇的な覚醒の体験が何度かあります。
最初は伊豆で瞑想をした帰りの電車の中でのことでした。
意識の境界線が全部溶けて、ぽーんと1つになったのです。
若いときにもいろいろ体験しましたが、
そのどれとも全く違う体験でした」


私もネオデジタル内観を始めて2年目に、
自叙伝を書き終えた時に全く同じ体験をした。

肉体を持ったまま天人合一した感覚で、
「あるがまま」ではなく「ないがまま」の境地で、
「これが覚醒か」と思ったことがあった。

だが、それはまだ本当の意味での「魂の半覚醒」ではなく、
その後の神秘体験によって劇的な世界観の変革が訪れた。

私の経験とその後の理論構築により、
効率的に半覚醒に近づく方法論を提示するのが、
ハイパーネオデジタル内観である。
posted by アンリ・クリスチャン at 01:23| Comment(0) | プロローグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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